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20151024

【海外記事】The Libertines - The Secret Story Of Every Album Track Explained

NMEの記事から。面白かったので和訳してみました。ベスト盤収録曲については触れられていません。一部曲名に和訳記事をリンクしています。
Anthems For Doomed Youthの和訳は年内にできたらいいなと考えています。

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The Libertines - 全アルバム収録曲にまつわる秘話解説


The Libertinesの再結成が近い将来起こりそうな兆しがちらちらと見える中、素晴らしい戦艦アルビオン号はいつ今一度の航海に出発してもおかしくはない状態だ。彼らにスターの座をもたらした楽曲について、その背景を掘り下げるには絶好の機会である。Up The Bracketの先頭打者Vertigoは、ハンコックのHalf Hourへの言及 (「リードパイプがあれば、幸運は我が物」)を持ってして、彼らの極めて英国的な見地を出だしから固める楽曲である。

Death On The Stairs

“リバトニアン”的にめちゃくちゃなロマンスという、例によって詩的な作品である2曲目に登場する「エリトリア人の娘」は、阿片によって導き出されたコールリッジの詩Kubla Khanの引用で、死か栄光のテーマに向かって全速力で突き進む。「カールはいずれ一人で孤独にテレビを見るだけの老人になるんだって考えに憑りつかれてた」と、ピートは語る。「俺たちはそれを『階段での死亡説』って呼んでた。」

Horrorshow

いくつかの極めてあからさまなヘロインへの言及や”brown(茶色/ヘロイン)”である”horse(馬/ヘロイン)”についてはさておき、Horroeshowという麻薬にいかれた物語において最も注目すべき点は冒頭のカプレットであり、これは当時ピートのガールフレンドであったフランセスカが作成したものだ。その後、彼女は歌詞の使用に対して訴えを起こす姿勢を示したものの、訴訟までには至っていない。

Time For Heroes

初代マネージャーであるBanny Pootschiのイズリングトンのフラットで書かれたこの初期作品は、2001年のメーデー暴動におけるドハーティーの経験を軸に展開する。「警官を相手取った長期戦が繰り広げられてて、俺もその一員だった」と、彼は説明する。「警官は俺におちょくられてると思ったらしくて ― そいつの暴徒鎮圧用シールドを覗き込んで髪の毛を直してたら、頭の横を思い切り踏みつけられた。」



Boys In The Band

2001年6月に行われたThe Strokesの圧倒的なロンドン公演を見た後、バンドは初期のノスタルジックなサウンドから方針を変え、その直後にまわしを締め直す意図で書かれた数々の楽曲の内の一曲がBoys in the Bandだった。「その辺りでアプローチの手法が変わって」と、カール。「以前より少しだけ無情で、少しだけ絶望的で、少しだけ激しくなった。」バンドはそれをプランAと呼んだ。

Radio America

バンドの中で評価がまっぷたつに分かれる楽曲 Radio Americaは、何通かの気まぐれなブラックメールのおかげでUp The Bracketに登場するのみで終わった。「(カールに)金を貸してたんだ。借金をチャラにする代わりにRadio Americaをアルバムに入れてもらった」と、ピートは当時語った。「これぞまさしく典型的なリバティーンズ。完全にはしたない。」

Up The Bracket

Teesdale Roadにあるピートとカールのフラットから程近いBethnal GreenのVallance Roadに言及するUp The Bracketは思わしくない乱闘にまつわる曲で、その経緯は最も英国的な方法で語られる。「二本の冷たい指」はVサインを見せつける仕草を表す懐かしい表現方法のひとつで、戦いに負けると指を切り落とされるイギリスの弓兵によって考案されたと言われている。



Tell The King

バンドのセットリストに不可欠な要素のひとつとして、カールはしばしばトラックの最終バースの後に第二部を付け加えることがあり、それは(例の不明瞭な歌声による供述から察するに)広く次のような内容であると考えられている。「ふたつの青い目があいつの方を向いたのに/あいつは中華料理のテイクアウトを買おうとしている/つまり愛は道を見つけ/あいつの手を引いて連れて行くということ」

The Boy Looked At Johnny

タイトルは元NME所属ジャーナリストであるJulie BurchillとTony Parsonsによって制作された同名の本から取られた。しかしながら(具体的には「俺が何様のつもりでいるのか分からないのか?」といった歌詞から推察するに)問題のジョニーの正体はジョニー・ボーレルであると考えられている。彼は現在の姿の前身となるバンドの一員として、一時的にリバティーンズでベースを担当していた。

Begging

Beggingはアルバム制作期間の前後によく遭遇した地元民のグループに着想を得た楽曲だ。「あいつらは本物の底辺だ」と、カールは当時こう表現した。「すごく対立的な態度を取ってくる。俺たちをヒッピー呼ばわりして、『乞食』と言った。それがあいつらの知ってる悪口だったんだ。」

The Good Old Days

リバティーンズの持つ典型的なイデオロギーにまつわる楽曲であると同時に、訳知り顔で偽善者ぶったような楽曲でもあるThe Good Old Daysには、バンド内部についての言及が詰め込まれている(「アルカディアの夢」「航路を進むアルビオン号」そして「ピッグマン」-ドハーティのあだ名― も同様に)けれどもその上で、ノスタルジアを感傷的に演じる試みを非難もしており、それをバンドが力ずくで行ったことは明らかだ。

I Get Along

I Get Alongはデビューアルバムのトリであるが、初めて姿を見せたのはファーストシングルWhat A WasterのAA面として。ファストペースでパンクな雰囲気を持つ享楽主義と甲高いお祭り騒ぎの歌は主としてカールによって制作され、しかしながらLetterman Showでは検閲により、歌詞のヤマ場である”fuck ‘em”を”Your mama”に変えざるを得なかった。



Can’t Stand Me Now

セルフタイトルを冠した二枚目のアルバムはこの曲で幕を開ける。ピートとカールの手に負えない愛憎関係ついての、バンドのコール・アンド・レスポンス劇である。ピートはカールのフラットに不法侵入した罪で出所したばかりであったため、ピートの「軽々しい手つき」とカールの「黙れ!」に込められた、ほとんど隠し切れていない真意については、誰もが認めるところだった。



Last Post On The Bugle

元々は遠距離のロマンスの維持を目的とした頌歌として書かれ、それに続くピートの服役期間が「いつかまた会おう/ああ友よ 払うべき犠牲がある」といったような歌詞に新たな感慨を付け加えた。メロディーと歌詞の大部分はMasters’ Apprentices’による無名の楽曲War Or Hands Of Timeから引き揚げられたもので、「ささいな泥棒行為」とピートは言ってのけた。

Don’t Be Shy

The Libertinesによる2003年のBabyshambles sessions (Babyshambles自体が結成されその名を名乗るようになる以前)の期間中に初めて録音が行われたDon’t Be Shyはアルバム中で最も軽やかに狂気を表している楽曲だ。「ラストチャンス・サロン」や「酔った老女王たち」には頷ける所がある、がしかし、やはりバンドの持つ英国的な伝統によって、それらは曖昧なものとして保たれている。

The Man Who Would Be Kind

Rudyard Kiplingによる同名の友情にまつわる短編小説から名付けられたThe Man Who Would Be Kingには同じくバンド自身の経歴が反映されている。冒頭のコードはデビューアルバム収録Tell The Kingのそれと同じ進行である一方で、「お前にちょっとした秘密を教えてやろう」というセリフは「お前にもうひとつ秘密を教えてやろう」に差し替えられている。

Music When The Lights Go Out

哀愁を帯びたデモ作Legs 11で初めて世に出たMusic When The Lights Go Outは、当初の形式ではアルバム収録版よりも遥かに柔らかい印象だった。「見事で豊かで熱狂的な要素の溜池を持つというのは良いことで、おかげで若かった頃の、生意気で理想家だった自分たちについて、ものすごく歌いたい気分になれた」と、カールは楽曲について語った。

Narcissist

オスカー・ワイルドが生んだアンチ・ヒーローであるドリアン・グレイを引き合いに出すNarcissistは実のところ、バーでの二人のフランス人男との出会いの後、フランスへの軽率な遠出について書かれたものである。「ピーターはとにかく何に対してもイエスと言って―信じられないような茶番劇の登場人物になりたがってるみたいだった」と、カールは回想する。「最終的にはナント郊外にある、凍えるように寒い、たぶん元はスタジオだった車庫に辿り着いた。」

The Ha Ha Wall

「The Ha Ha Wallの始まりはカールと俺にとってのまさに初めての晩、お互いに出会って、憎悪と避け合いの1年を過ごして、ようやくギターを弾く友達同士という立場に落ち着いた1998年まで遡る」と、カートは楽曲について語る。「俺たちが初めて一緒に書いた曲が成長してThe Ha Ha Wallの姿になった。」

Arbeit Macht Frei

Work makes you free(仕事は自由を与える)と訳されるこれは第二次世界大戦中に多くのナチス強制収容所の入り口に掲げられたフレーズである。楽曲の歌詞は憎悪と偽善に視線を向けている。

Champagne of Hate

“Mugs!”(バカ!)や”Oh my god!”(うそだろ!)といったアドリブの叫び声が特徴的な、このいかにもロンドン的な、おそらく、ごまかしや若者同士の間で生まれるプレッシャーを表す頌歌は多くのThe Libertines(放浪者たち)が抱えていた重く、より個人的な事柄にまつわる問題の中に共通して存在していた、短くて気軽なインタールードだった。

What Katie Did

一作目から二作目の間、ピートとカールの一時的な仲たがい期間中に書かれたWhat Katie Didは、全体がピートによって書かれ、しかし和解を示す行為として、リードボーカルを歌う役割はカールに与えられた。

Tomblands

アルビオンという詩的な幻想とつながる海事の、海賊らしい叙情主義(「ヨー・ホー・ホー」「ジュークボックスの8番目の曲」)の残りかすであるTomblandsは、一時的にアルバムのタイトルトラックにとも考えられていた。もうひとつの、冗談のようで詩的さに劣る選択肢はThe Brown Album - The BeatlesのThe White Albumにちなみヘロインを引き合いに出したタイトルだった。

The Saga

パリへの旅行中、やはりMontmatre’s Hotel France Albionで行われCan’t Stand Me Nowを生んだ例の作曲セッション中に書かれたThe Sagaの着想となったのはPaul Roundhillという友人で、彼はピートに手紙を書いてますます深刻化していた薬物依存への警告を伝えた人物である。

Road To Ruin

おそらくはThe Sagaというピートのボソボソとした言い訳に対するカールの反撃であるRoad To Ruinのきっぱりとして率直な歌詞(どうすれば/分かってくれるんだ?/お前が何者かは/お前の手に記されている)とあからさまなタイトルには解読の必要がない。もうひとつの楽曲All At Seaも、少し前の段階でのデモセッション期間中にはRoad To Ruinと仮で呼ばれていた。

What Became of The Likely Lads

70年代に英国で放送された同名のシットコムから名前を取ってつけられたWhat Became of The Likely LadsはCan’t Stand Me Nowで始まった時と同様の率直で探究的な作風でレコードを締めくくる。「将来有望な男たちはどうなった?俺たちが持っていた夢はどうなった?永遠はどうなった?」

20150923

【海外記事】Paolo Nutini interview: 'This is a new beginning for me'

Digital Spy.でのインタビューより。

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前作までの2枚はイギリス国内だけでも3300万枚の売り上げがありましたが、それは今作のリリースへのプレッシャーになりましたか?
「いいや。どちらかと言えば、おかげで気が楽になった。当然のごとく、僕は批評家たちのお気に入りってわけではないから、NMEのレビューを気にする必要もない。むしろそれが理由で批評を気にしすぎることも批評に流されることもなく済んでる。おかげでどこかの集まりに顔を出して馴染みになる必要はないし、カメラの前に立つこともないし。」

Teen Choice Awardsとは無縁、ということですね?
「その通り!そういうことは望んでない。ニコニコした顔でみんなの前に立ったり。目の前でお尻を丸出しにしてるマイリー・サイラスが死物の塊か何かを舐めてる側に立ったりね。」

あなたの音楽についての批評はどう受け止めていますか?
「人は誰でも時にはグサっとくる言葉を言うもので、そういういう事実をいつも頭の片隅に置いてるんだと思う。僕自身に対する非難を受けたこともある。誰かから何かしらの理由で。でも僕の音楽が気に入らないっていうなら仕方ない。でも誰かの自信を揺らがせたり落ち込ませたりして、その人のやっていることを止めさせることだけが目的だった場合は、『あれは良くない。あれはああじゃない』どころじゃない、悪意のある言葉が出てくる。人は誰でも、何かすごいことを成し遂げたいと思っている部分があると思うし、他人がそういう部分に口出しすべきじゃないと思う。」

Caustic Loveはどんなアルバムですか?
「僕にとってこのアルバムは新しい物事の始まり。僕にとっては、この5年で色んな曲を書いてきて、今回がその初めての発表の機会になる。収録曲は最初の12~15のアイデアで、残りも世に出す準備ができていて、今のところ分かるのはそこまで。とりあえず前に進もうって時もあるよね。この先いつどこで何があるか、どんな障害に直面するかは分からないけど。だから僕のプランとしては、これからの数年は可能な限りクリエイティブな作曲家として生きて、僕の中にある音楽と思考の全てを絞り出すということ。妥当で教養ある面もあれば、もしかしたら物凄くミソジニストな面も出てくるだろう。分からないけど、かなり無知な、人には好かれない面もあるだろう。でもそういうことは気にしない。何が起きるか確かめよう。とにかく、そういう全てをこの先数年かけて絞り出そうと思ってる。」

60年代の世界観を打ち出した今作ですが、作曲の段階で影響を受けた音楽はありますか?
「音楽に関してはそれほど新しくはないものをよく流してた。昔聞いてた90年代の音楽。ヒップホップ感が強い、昔かなりファンだったD'Angeloみたいな、でもそれほど好んで聞いてはいなかった音楽。Massive Attackで初期のトリップホップに立ち返ったりもしたし、TrickyのMaxinequayはこの先も僕のお気に入りの一枚であり続けるだろう。だから新作はプログラム・ビートが醸し出す雰囲気以上のものがある作品になった。」

音楽的に言えば、安全地帯を出たということですね?
「たぶんね。技術的な点については、これまでにないほど野心的に取り組んだ。ドラムマシンもギターペダルも使ったし、サンプリングもたくさん試した。これが懐古的なアルバムだとは思わない。僕自身の持つ視点で書くわけだから、僕の耳で聞く分には、難解すぎる曲はひとつもない。"車輪の再発明"をしてるわけじゃあるまいし。アルバムに込めた野心に見合うよう実力を伸ばす。他の何よりも、それこそが僕の仕事の一番大事な部分かもしれない。それには、そういう考えを人々の心に届けて、彼らの想像力を掻き立てることも含まれる。僕と一緒に演奏したがってくれるミュージシャンの自由度も上がっている。」

良い気分でしょう?自分と仕事をしたがってくれる人たちがいるなんて。
「そんな人たちが、僕も一緒にやってみたいと思う人たちだった時には、特にね。」

Caustic Loveからはより成長したパオロを感じることができます。ご自身ではそう思いますか?
「それが僕を表す言葉かどうかは分からないし… それがどんな段階を指しているのか、どんな見解なのかも分からない。昔よりは自分のことに責任を持ってる。様々なレベルで、自分の面倒は自分で見なくちゃいけないって視点に立ってる。悪癖をひとつも持ってない人間なんていない。それはコーヒーか、砂糖か。コカインか、マリファナかもしれない。そういう悪癖を何とか自分で制御することが自分の面倒を見るってことだ。自分でやらなきゃ他に誰がやってくれるの?って話。そういう意味では、僕は先んじている。成長したか?どうかな。他の面ではもっと成長してるはずだから。僕が成長したかどうかは、友達か両親か、僕と親しい人に聞いてみるといいよ。僕は自分の人となりが持つ全ての面を受け入れたいし、どれひとつとしてその価値を落としたくない。要はそういうことが自分の身に起こる度に自分自身への理解が深まって、自分への言い訳が減っていく。弱みを見せれば、誰かにそこを掴まれて攻撃されるかもしれない。そもそもそういう部分を後ろめたく感じていなければ、そのことについて嫌な思いをさせられることもない。失敗したら、少なくとも失敗したことに気付いて、それが何なのか確認して、失敗を受け入れて、そしてできれば改善する。」

今年のグラストンベリーでは出演枠がランクアップしましたが、つまりステージに上がる前の、お行儀よく過ごさなければならない日中の時間が増えたということですよね。
「それについては適切な精神状態を保たなければいけないね。楽しむべきだし、盛り上がるべきだし、楽しめることは良いことだと思う。誰だってそうしたいだろう。グラストンベリーではそれが普通だ。『よし、出来るだけ早く行って、めちゃくちゃはしゃごう』ってね。でもそこにはもうひとつのグラストンベリーがあることを忘れちゃいけない。呂律が回らなくなるのはごめんだ。酔い潰れて、みんなが楽しみに見に来てるステージにすら上がれないなんてありえない。そういうのをやりたがる人も、もちろん、中にはいるわけだけど。」

なぜあなたはいつもステージ上で酔っ払っていると思われてしまうのでしょう?
「酔ってステージに上がったことはないよ。人生で一度もない。ほとんどの人が僕のところにやって来て『おい、めちゃくちゃ酔ってたな。すげー良かったよ、ベロベロになっててさあ!』って言ってくる。妙な話だけど、おかしな動きのダンスのせいか、もしくは自分の世界に入り込むせいかもしれない。その場のノリや雰囲気によっては飲んじゃうかもしれない。でも出来上がった状態でステージに上がることはないだろうね。そういう自分を見せるためにお金をもらうなんて、ありえないから。」

20150701

【海外記事】Mika Finds a New Happy Place with No Place in Heaven

OUT.comでのインタビューより。



あなたは初期の二作をませて子供じみた要素を持っていると説明して、一方で三作目についてはより真面目なアルバムと表現しました。今作はどのようなアルバムだと言えますか?


四作目のアルバムは、以前よりポジティブな ―よりオープンなヘッドスペースが出した結果だ。30歳を過ぎて自分に誓いを立てた。あまり自分自身を孤立させないことと、もう少し気楽で率直な態度で物事に取り組むこと。姉と一緒に小さなデザインスタジオを作って、昔実家のキッチンでしていたみたいに、また絵を描き始めた。要するに自分を解放して、脳みそを必死に働かせて ―挑戦することで自分自身を怖がらせていた。その結果としてアルバムはまっすぐで、憂鬱で、オープンで、率直で、ふざけていて、けれど成熟したポップアルバムに仕上がった。一作目でそうだったのと全く同じように、60年代のポップミュージックから影響を受けたものに。

アルバムを高校として考えたとき、二年生のミーカは一年生のミーカに対してどんなことを教えるでしょうか?レコード作りに関してだけでなく、総合的なキャリアについて。


シートベルトを締めろ(笑)僕のようなアーティストにとっては ―もしも僕にマシュー・マコノヒー並みのスーパーパワーがあったら、こんな説明をするだろう。ブラックホールをくぐり抜けて、若かった頃の自分にこんな風に語りかけるだろう― 「勇気を出して大胆になれ。あえて他人と違う人間になれ。なじまないことを恐れるな。そうある理由があるんだったら、それは正しいことなんだ。」

曲作りが終わったと分かるのはいつ?


その曲を聴いても何も思い浮かばなくなったら。その曲が促すままにある場所に運ばれていく、というのが僕の作曲のスタイルだ。もちろん、正直に言っておくと、僕は一度レコードが完成したら二度と聴き直さない。全部未完成のような気がしてしまうから、自分のアルバムは聴けない。それが常にパフォーマンスを楽しめる理由で、というのも楽曲は生き物で、ある形でアルバムの中に捕えられていて、それがステージの上では自分と観客によって進化していくから。

Good Guysという実に際立つ曲では”ゲイの人たちはどこに行ったの?”という質問が繰り返されます。この曲について聞かせてもらえますか?


僕は巨大なビジネスの中にいた。アルバムの曲作りの最初の週に、大きなスタジオで業務会議を開いた。僕は辺りを見渡してこう言った。『信じられないよ、つまり君たちが世の中のポップミュージックの大半を書いてるんだね。』彼らはテイクアウトの食べ物を食べていて、その内の二人はちょうどジム帰りで、僕は彼らを少し眺めてこう言った。『それってすごいね、でも… ゲイの人たちはどこに行っちゃったの?』彼らは無表情って感じの顔で僕を見た。でも本当にさ、ポップミュージックのティン・パン・アレー ―作曲とプロダクションに携わる人たちはどこに行っちゃったんだろう?僕はそれが可笑しかった。彼らはちっとも可笑しいとは思ってなかった。さあ曲を書こうとなった時にそのことを思い出して、あれが実際の聞こえほど冗談めいてもバカげてもいない会話だったことに気付いた。あれは自分自身に対するメッセージのようなものだった。15歳だった僕を刺激してくれた人たち、崇拝していたヒーローたちはどこに行ってしまったのか。彼らは今どこにいるんだろうか?僕も思い切って彼らのようになれないだろうか?どうすればあんな風になれる?どうすれば、対応せざるを得ない自身の影響力とその結果に気を取られることなく誠実に自分の人生を生きた男たちの仲間入りができるだろう?思うに、あれは僕にとってときめくような瞬間だった。よし、やってみよう。そこに行ってみよう。若かった頃、自分にもあんな風に生きる勇気があればと憧れた、そんな人たちを目指して挑戦しよう。答えは目標じゃない。大事なのはそれを求める過程と自己分析だ。

同性愛の支持範囲において音楽はどんな位置にあると思いますか?


1950年代以降、音楽は… 1950年代はナシで。1700年代以降、音楽はたとえ偏狭な社会においても表現の自由が存在した数少ない場所のひとつだった。ある類の文化においては、より繊細でより控えめでなければならない状況でも、音楽はいつも口実をくれた。セクシュアリティに関して言えば、政治的かつ社会政治的な支持を得る機会を。現在もそれは全く同じだと思う。音楽とは書き手として、聴き手として、自分自身を発見できる区域だから。聴いている音楽のファンである自分を発見する場合もあるだろう。僕は楽天家で、媒体としての音楽は信じられないくらい寛大なアートの形式だと心から思っている。でもそれをメディアの視点から見てみると、話が変わってくる。とても良いことだと思うし、かなり良くなっていくと思う。まだまだ道のりは長くて、それについて僕はきちんと認識している。主流のメディアの範囲内で理想とされるのは非反応性で、少し言及するだけでも嫌がられる。だからセクシュアリティとか、たとえば歌手がラブソングの中で歌うセックスがどのようなものかにかかわらず、その歌が該当する形式には何の影響もない ―いかなる面においても、その歌事態の商業的な成果や露出が侵害されるわけじゃない。そういう境地に達するものこそ良い音楽だと思う。
(※サム・スミスはより広い支持層を得るために楽曲中でセクシュアリティに触れるのを避けていると発言している)

このNPRポッドキャストにはPop Culture Happy Hourというわたしのお気に入りのコーナーがあって、みんなで机を囲んで、その一週間にハッピーになった出来事について語り合うんです。今週はどんなハッピーな出来事がありましたか?


実は、かなり素晴らしいことがあったんだ。人間というものは必然的に日常生活によって心を閉ざすようになっていく。たとえ社会的にそれを否定するような態度を取っても、外部の世界いて自分の感情を守る時には、やっぱりそれなりに無情な構えを取ってしまう。人間は自分を守ろうとするものだし、僕だってそうだ。先週Webster Hallでのショーの間、僕は観客の顔を眺めながら、彼らの表情が変わっていくのが分かった。彼らは心を開いた状態で、周りに誰がいようと、もうボディーランゲージを使って自分自身を守ろうとはしていなかった。彼らは受け取るのと同じ分だけ与えていた。その率直さや開放感は感動でもあり癒しでもあった。目の前で実際にそういう人々の姿を見て、音楽の影響に改めて気付くことができてすごく嬉しかった。それが僕のハッピーな出来事。

20140511

【海外記事】The Guardian - Ivor, My Inspiration

The Guardianに寄稿された、カプラノスによるアイヴァー・カルターについての記事。Jacquelineに登場するIvorはこの人のこと。歌詞に関する考え方も書いてあって面白かったので、訳してみました。
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ある友人 ―ジャクリーンという女の子― がロンドンのポエトリー図書館で働いていて、そこへアイヴァー・カルターがよく通っていた。彼女は彼と友達になって、何度かお茶に呼ばれて家に行ったこともあった。彼女はとても若くて、そしてとても魅力的だった。思うに彼女は少々気の効かない子で、彼との出会いから生じた文学的な興奮にすっかり心酔していたものだから、彼が実は彼女が思っていたよりもほんの少し好色な男だったということに気がつかなかったんだろう。

彼女の弁によると、彼女はこんな風にして誘いを即断したらしい。なぜなら、彼は単に、年寄りだったから。彼女はこう言った。「あなたを恋愛対象として見るなんて、ありえないわ。」すると彼はこう答えた。「君の目にはただの年寄りに見えていても、僕は若者だった頃の目で君を見ているんだよ。」
その話がJacquelineの着想になった。人は一組の目を通して誰かに眼差しを向ける時、返ってくる眼差しの中に、自己の投影を見ているということ。

僕はグラスゴーの友人のアンドリューを通じて、カルターの音楽に出会った。僕は彼と一緒に作曲を始めたんだ。あの頃、僕らは14歳かそこら。お互いに聴かせ合えるような新しい音楽との出会いを願いながら、しょっちゅう中古レコードの店に通ってた。レコードプレイヤーの前に何時間も座って、音楽を聴いてたよ。初めて聴いたレコードはダンドルフだったと思う。信じられないくらい素晴らしかった。あんな奇妙で可笑しなものに触れたのは、人生で初めての経験だった。他のあらゆるものと全く違っていた。
いくつかの作品は完全にナンセンスだった。例えばFrensleyっていう、スズメについての歌みたいに。けれど僕はそのシュールな切り口が大好きだった。僕はカルターの音楽には散漫な不条理があると考えていて、というのも、彼の音楽を聴いていると、彼がしばしばかなり鋭い知性を発揮するという事実から少しばかり意識が逸れてしまうから。彼の楽曲にはかなり的を得た観察眼が存在している。そういった要素が、多くのオルタナティブ音楽のファンと同じように、僕らの中の青い部分に訴えてくるんだろう。愛すべきカルターは大きな流儀を持っているように思う。この世には典型的なカルターファン、というような、決まりきった"型"は存在しないけれども。

グラスゴーに彼のライブを観に行った時のことを思い出す。芸術かぶれなイベントだった。ギグの一席はアーツ・カウンシルから多大な協賛を得ていた。観客はとてつもなく共感的だった。誰もが彼の一言一言に聞き入っていた。彼は本当に素晴らしかったから、妥当な反応だったと思う。けれどそれは同時に、誰もが彼の言葉の全てを笑っていたということをも意味する。途中で彼はこう言った。「俺の声が面白いからって、俺の言うことがどれも面白く思えるんだろ。」実に見事だった。彼は少し奇妙な風貌に、特殊な声質をしていて、ばかげた帽子とハルモニウムを持った彼を見れば、人は彼を典型的な面白い奴だと思うだろう。僕は彼に実際に会ったことはないけれど、彼にとってそれはより深い意味を持つ事柄なんだと思う。閉幕後に多くの人が彼に話しかけに行ったけれど、僕はそういう類の事とは関わらないよう心掛けてきた。

彼の作品に宿るスコットランド的かつグラスゴー的な見地も、僕にとっては重要な意味を持っていた。彼の、イギリス人の持つスコットランドらしさの見解を茶化す姿勢が気に入っている。Life in a Scotch Sitting Roomに出てくるように、散歩に出た息子に、父親がこう言う。「見てー!アザミだよ!」それから「見て見てー!またアザミだ!」その後、二人はニシンをポリッジで覆い、フライパンで揚げる。そんな光景は本当に奇妙で ―加えて言いたいのは― スコットランド的な生活とは似ても似つかない。

彼のユーモアのセンスと、禁欲的なスコットランド的背景に敵対するように彼に深く根差したリベラリズムとの間には、心踊るコントラストが存在する。厳格で逞しい人なのかもしれない。「生まれて此の方、貧しさを知らない」と、彼はある本にこう書いていた。「それは身分相応に生きてきたからだ」。けれど彼はこんな曲も書いている。Triangle of Hairという曲で、歌詞はこう。「誰にももれなく体毛の三角形があるというのに、誰もそれについて語ろうとしない」。本当に面白いし、上品ぶった世間を突いている。誰だってセックスについて知っているけれど、彼はそれを当たり障りのないやり方で表現する。彼は自身の持つリベラリズムを他人に押し付けたりはしない。

カルターとフランツ・フェルディナンドの間に音楽的な繋がりは見出だせないけれど、きっと僕は作詞の面で彼から影響を受けてきた。彼には面白味があって、気取った言葉は使わない。僕は会話的なフレーズを使って歌詞として成立させる力のある人たちに惹かれる質がある。ニックの場合はドイツ育ちだから、彼についてよく知っているかどうかは分からないけれど、ボブとポールは彼のファンだ。一緒にバンドとして活動し始めた頃、ボブと僕はよくフラットに籠ってカルターの音楽を聴いていた。

主知主義に陥るまいとするカルターの決意は、僕らのバンドの主軸のひとつでもある。僕らの目指す最高のポップミュージックとは、知的な思考を迂回するものだ。リズムに合わせて体を動かしたり、足を踏みならしたりすると、歌詞が作り出す音に快感を覚えることができる。それでいて、そうしたければ、より深い部分にまで掘り下げて楽しむこともできる。それはカルターの真髄でもあると思う。ある段階において、彼の楽曲はどれもバカげているけれど、別の段階においては素晴らしい詞であり、ものすごく刺激的なものになる。興味深いのは、彼のファンの多くがラウドミュージックのファンである一方で、彼自身はラウドミュージックを嫌っていることで有名だということ。だけど僕はそれについて彼を恨んだりしないよ。

20140403

【海外記事】Paolo Nutini on Caustic Love

The Listから。内容が面白かったので少しですが訳してみました。

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先月辺りから今日までのいかなる時点においてでもラジオをつけた経験のある方は、ペイズリー出身のポップの奇才パオロ・ヌティーニが新曲のScream (Funk My Life Up)を引っ提げ、5年間 ― 大いに人気を博したSunny Side Upの発売に続く高予算のツアー契約に敬意を表するのであれば、3年間― の沈黙から現役復帰を果たしたことにお気付きであろうと思われる。

5年間という歳月の間にはあらゆる物事が変わるし、それが20代最中における5年間なら尚更である。名声に対して常にアンビバレントな姿勢を取ってきたヌティーニは、その5年間を日常における些細な喜び ―散歩や木細工、ウィスキーといった類― を楽しみつつ、同時に100曲程の新曲の製作に費やし、その内の12曲が近日発売となる彼の第3作目のアルバムCaustic Loveに収録される次第となった。徐々に勢いを増す感情と説得力を備えたソウルフルな雰囲気を持つ新作では、成熟過程にある彼のシンガー兼シンガーソングライターとしての実力が発揮されている。

T in the Park及びRadio 1's Big Weekendへの注目の出演が既に決定している今、今年の夏の数ヵ月間は間違いなく至る所で彼の顔を拝むことになる。The Listは彼の生活が再び大忙しになる前に彼を捕まえ、旧きソウルの反映のサンプリングに成功した。

《道のこぶについて》
ここ2年の間に起きた物事の内、純真無垢だった頃の自分にとって全くの未知だったものというのは、自分が関わることになるとは思ってもみなかった家族内でのあれこれだったり、自分がすることになるとは思ってもみなかった会話だったりで、そういったハードルは出来れば自分の力で30歳までの生き方を決定して行きたいと努力してる18歳の若者にとっては想定外の、晴天の霹靂だった。

《単なる数字でしかない年齢について》
僕が今までに出会った40代、60代、70代の歳の人たちは書類上の年齢を偽ってたに違いない。僕の音楽もそんな感じかもしれないけど、僕の場合はロンドンに出てきた頃、クールなインディーバンドに所属した経験もないし、クールですかした若者とつるんで遊び歩いた経験もない。19歳の頃に一番仲が良かった人たちはみんな30代だった。彼らのハウスパーティーに行くと、みんな17、18の若者よりも派手に楽しんでた。一見自由に生きてるように見える連中よりも遥かに開放的な生き方をしてた。

《ミューズの気まぐれについて》
一度心を開いて創造的な心境になると、途中では止められない。何かを思い付いたとして、例えその創造的な衝動を無視したとしても、結局はそのせいでそろそろ寝ようと思う頃になっても全然眠れないんだ。それが携帯にボイスレコーダー機能がついてて良かったなって思う理由。

《宵っぱりであることについて》
朝の3時に思い付く物事は面白いものばかり。スウェーデンで演奏した時、みんながホテルに帰って小ぢんまり休んでた頃、僕はイアフォンをつけて街を散歩してみようかなと思ったんだ。携帯を見たり、道行く異性を品定めしたり、道端で叫んでる狂人を凝視したりする必要がない時、見上げればきれいな星空が広がってる。グラスゴーはそういうのに最適な場所で、パリも良い。ロンドンも、人がごった返してない時は良いよ。僕は完全に夜型人間だ。

20140228

【海外記事】Clash and Burn with Hard-Fi

1stを発売する前の、2005年3月の記事です。斜体がリチャード・アーチャーの回答。原文は こちら


DiS: あなた方はThe Streetsのバンド版と呼ばれています。ご自身ではどう思いますか?

Richard Archer: 似たような場所の出身だから、そうかなって思う部分もあるけど、The Streetsがその状況に反抗するのに対して、俺たちはその状況から逃げ出したいと思ってる。世間がそう言うのは、俺たちがどちらも現実的な歌詞を書くからじゃないかな。

The Clashとも比較されていますよね。それについて嬉しく思いますか?それともがっかりしていますか?

うーん、嬉しいよ。The Clashは大好きだし、偉大なバンドだし、凄い存在だから。だけど俺たちはThe Clashじゃない。俺たちはHard-Fiで、The Clashになるつもりはない。世間にそう言われる理由は理解できるけど、それに左右されることはない。ただ俺たちはThe Clashのコピーをやろうとしてるわけじゃないんだって話。

(語気強い回答だが、後日インタビューを整理していると、アーチャーがかつて組んでいたバンドContempoはThe Clashのミック・ジョーンズにプロデュースを受けた経験を持つことが判明した。犯罪科学の基本原理を引用するならば「全ての接触には痕跡が残る」ということか)
もちろんThe Clashはチャート嫌いなバンドではありませんでしたが、ロックに対する誠実さを保ち続けたバンドでしたよね。

俺たち自身が、有名になって、出来るだけ多くレコードを売って、出来るだけ多くの人の前で演奏したいと思ってるっていう事実については、後ろめたくは思わない。だけど、すごくクールなだけで本気で愛されないようなバンドにはなりたくない。そんなバンドに意味はないから。ブロンディとかあの辺のバンドがやったのと同じように、俺たちもたくさんクールで魅力的なポップソングを書きたいし、それのどこが悪いのか分からない。他人と関わり合う以上は、情熱を持って想像力豊かに試みる限り、とっつき易い作品を作ろうと考えることは間違ってないと思う。

2ヶ月前を思うと、あなた方のシングル"Cash Machine"が何度もラジオで流れていましたよね。チャートではそれ程順調に行かなかったという結果は、予想外なものでしたか?

実際の売り上げを見ると、40位くらいには食い込んだと思うんだよね。だけど無料のステッカーを封入したせいで、チャートに反映されなかったんだよ。

ステッカー?

そうだよ。おかしなチャートの規定のせいで、記録に加算されなかったんだ。

無料のステッカーを餌にしていると見なされた、ということですか?

そう。だけど事の発端は、メジャーレーベルの多くがオマケ戦略で在庫を捌こうとしてた頃まで遡るのかもしれない。俺たちは3000枚しか用意してなくて、それが全部売れたもんだから、実際に発売できたこととか反応を見られることだけでもすごく嬉しかったんだ。当時は駆け出しで、ほとんど演奏もしてなかったから、あんまりすぐに忙しくなりたくはなかった。

新しいシングル"Tied Up Too Tight"について教えてもらえますか?

俺が生まれた町はいつも曇ってて、月並みな出来事を愛してる人間以外にとっては、退屈で憂鬱な場所だった。郊外のどんな町に関しても言えることだけど、主人公はそこでの暮らしに馴染めないんだ。そんな奴がロンドンに出て、明るい街を見て、センス良い服着てる連中や、センス良い人間に出会うって歌で、基本的には夜遊びの歌だよ。

単独公演を始める前に、4月の頭からKaiser Chiefsのサポート務めるそうですね。"Cash Machine"が再販になって、Chiefsの"Oh My God"と同じく返り咲き、なんてこともあり得るのでは?

それ程先の事までは真剣に考えてないけど、そうなっても驚かないよ。かなりの数量限定発売だったからね。

"Cash Machine"はミニアルバム"Stars of CCTV"からの曲で、こちらも昨年末に少数販売されたものです。売り切れてしばらく経った今では、eBayで中古品に25ポンドの値がついていますよ。

金は無かったけど時間だけはたんまりあった。だから企画に1年かけて、それから自分達でレコーディングして、アートワークも自分達で手掛けた。ウェブサイトのデザインまで自前だよ。図書館で本を借りて作り方を覚えたんだ。だけどポンコツだったからもう一度やり直さなきゃならなくなって…。それからのことは、何もかもが急速に進展して、ほんの2ヶ月でこんなに凄い状況になって、本当に驚いてる。

ミニアルバムからの曲でフルレングスに収録するものはありますか?

再販する予定だけど、5つか6つくらい曲を追加するつもりだよ。タイトルは変えないと思う。

"Feltham Is Singing Out"は世の中で初めてウェストロンドンのあの地域について触れた楽曲ですよね。歌詞に取り入れる際に、治安が悪いことで有名なアメリカの地名がイギリスの地名よりも魅力的に聞こえるのはなぜだと思いますか?

はっきりとは分からないけど、たぶん自分が住んでる場所から遠く離れた所にある地名っていうのは、どうしたって近所の地名よりも魅力的に聞こえるんだろうね。忙しくなり始めた頃にアメリカのレコード会社の人間と話をしてた時の事なんだけど、こっちに出向くために飛行機に乗ってた担当者が、フェルサムに行ってみたいと言ったんだ。それで俺たちは「そうなの?ヒースローに入ったら、窓の外を見てみな。燃えてる車を見つけたら、それがフェルサムだよ。近付いてみてごらん」ってね。

ヒースローと言えば、真面目に聞いてもいいですか。"Cash Machine"のビデオを撮るために空港に忍び込んだという話は本当なんですか?

金がなかった俺たちは、金をかけずに印象に残るビデオを作ろうとしてた。そしてもちろん、空港が近所にあって、使えるなと思った。監督をしてくれた奴が観光センターに行って『このエリアに引っ越してくるんですけど、明日到着の飛行機ってどこから入って来るんですか?目をつけてる物件に影響するんじゃないか気になってて…』
そうやって飛行機が入ってくる方角を確かめて、フェンスの向こうに荷物を運んで、準備を進めた。ほんの数分だ。ここから抜け出せば全部終わる、って思いながらね。だけど俺たちを見かけた人たちは ― バンドが荷物を広げて演奏してるんだって思ってた人たちは、かなり不自然な状況だったのに、きっと許可を取ってるんだろうって勘違いして、そのままやらせてくれたんだよ。俺たちは必要なものを手に入れて、すぐにその場から引き上げたんだ。

20131216

【インタビュー記事】MGMT: Everything Is Not OK

Electronic Beatsのインタビュー記事の和訳です。3rdアルバムMGMTを軸にレコーディング時の環境やバンドの価値観などを語っています。
太文字はインタビュアー、BGはベン・ゴールドワッサー、AVWはアンドリュー・ヴァンウィンガーデンの発言です。

労働階級の影響力がアングロアメリカン的な確実性の概念のど真中に現れたのは17世紀後期、ポップミュージックがブルーカラーをそのルーツに持つという物語がある種の常識となり、"中流階級"や"郊外出身"という言葉が別称となって以来の事であった。そして遥かに多数のアメリカ人バンドが郊外出身でありながら、その内の多くが自らの生い立ちを退屈、機能不全、あるいは独裁的なものとして不滅にしてきた。MGMTのベン・ゴールドワッサーとアンドリュー・ヴァンウィンガーデンはそうではない。デュオがデビューLPを引っ提げて脚光の舞台に自らを押し込んだのは2008年の出来事であり、Oracular Spectacularは暗い瞬間の到来を待つ幼年期を成年期の影の接近と表す、遡及的なサウンドトラックである。5年の歳月と後に一度の商業的失敗を経た今、バンドの名を冠した3枚目のLPは冒頭で前作の最終地点に立ち戻る。悪くはない試みだ。しかしながら、MGMTは方向感覚の減少を目指したサイケデリック・ポップへの見事な侵略行為を越え、B面的な挙動を見せた。
その結果辿り着いた先には、急進的なデコンストラクションとT・マセロ的な編集が存在し、かつてウェズリアン大学にてAnthony Braxton, Ron Kuivila, そしてAlvin Lucierのイタズラ心溢れる教え子時代にバンドの冗談の素材であった実験的な精神が潜んでいる。情勢が変化した今、過去は未来と同じほどに暗いものである。ベン・ゴールドワッサーの言葉を借りるならば「何もかも上手くいってるはずがない」ということだ。

これまで見た中で一番奇妙なMGMTのインタビューはThe Brian Jonestown MassacreのAnton Newcombeとアンドリューの対話で、Newcombeのベルリンの居間で行われたそれです。ほとんどNewcombeが話し役だったんですが。

BG: へえ、いつのだろう?

2010年のベルリン公演の前夜です。長丁場で無様な、デタラメなチェスの試合運びを見てるみたいでした。Youtubeで見れますよ。


BG: 見たことないなあ!Spectrum とSpacemen 3のWill Carruthersと一緒に遊んでたんだけど、そんな事があったなんて全然知らなかった。

AVW: アントンってすげーカッコいい男なんだよ。アントンの彼女が8mm Barにいて、僕らが店の前を通り掛かったら彼女がこっちに近付いてきて、「上にアントンがいるんだけど会って行かない?」って声をかけてくれたもんだから、着いて行ったんだ。彼のアパートはすごく変わってて ―ビデオで見れば分かると思うけど。そこら中に紙巻タバコが置いてあって、ギターもそんな感じで散らばってて。Dig!を見てたし、ストックホルムのAccelerator Festivalで顔を合わせたこともあったから、変幻自在って感じで少しやんちゃっぽい彼の物腰は事前に分かってた。僕は前の彼女と一緒にディナーに出掛けてて、それであのバーに入ったんだ。そんな事もあったっけ。

私は次の晩のショーに行ったのですが、あなた方の生演奏を観たのはそれが初めてでした。世間の期待から何とか解放されたい、けれど思うようにいかない、というような印象を受けた事を思い出します。ステージ上で落胆している様子にも見えたのですが…

AVW: そのショーがあった日に前の彼女と別れたんだ。ドラマチックで酷い別れだった。彼女に帰りのチケットを買って、まさしくその足でステージに上がったもんだから、おかしな気分になってたのかもしれないね。だけどそれと同時にCongratulationsのツアーで消耗してたって事もあった。というのも、訳あって僕らは色んなインタビューで僕ら自身を弁護したり、僕らの音楽を正当化しなくちゃならなかったから。ライブになると人目が気になって、内向きになってた部分もあって。ベルリンはそのツアーの締め括りだった。だけど今年の公演は完全に違う雰囲気で続けてる。まだステージ上で不安を感じるし、心を開いて開放的になれたらとも思うけど、新しいアルバムの歌詞や音楽はすごく個人的な内容で、作曲に関しても ―ベンと僕が作る音楽の最大の魅力は、それが僕らの二つの人格が織り成す特別なコンビネーションの賜物だということ、とだけ言っておくよ。僕らは多作なバンドじゃない。大量生産するバンドじゃない。だから出来上がるものが何であれ、それはその時の僕らの人生を小さく凝縮したようなものなんだ。つまり僕らの音楽は個人的な意味合いが強くて、あまり共感してる風じゃなかったり楽しんでる感じのない人を見ると、何となくおかしいなって思ったりする。

年齢層がかなり低い公演でしたね。若者を観客に迎えることに関してはどう思いますか?

AVW: 手書きの手紙とかファンアートをもらうことがあるんだけど、みんながそれぞれに最大限に音楽にのめり込んで、それぞれに意味を見出だしてるってことがはっきり伝わってきて、胸がいっぱいになるよ。しかもそれが大変な思いをしてる10代の若者だったり高校生って場合は特にね。僕の場合も高校生の頃に色んなバンドに対して同じ事をしてた。 ―Talking Headsもそうだし、The Grateful Deadも… 実際に観に行くことはできなかったけど、94年に僕が育ったメンフィスでGDの公演があって、その1年後にジェリーが死んだんだ。僕は当時14歳だったけど、姉の影響でかなり熱を上げてた。高校時代はPhishにも夢中で、それで何が良かったって、彼らの楽曲やカバー曲を聴くことで他のバンドや音楽をたくさん知れたってことなんだ。信じるかどうか分からないけど、Velvet Undergroundを知ったのもPhishがきっかけだった。The PixiesやPavementに関しても同じ。Phishのカバー曲が様々なバンドを知るきっかけになった。だけど大学に入ってベンと出会って、お互いの音楽を交換するうちに、聴く音楽の幅が指数関数的に拡がっていった。

お二人ともウェズリアン大学という、コネチカットにある小規模なリベラルアート・カレッジに通ったわけですが、ここはエレクトリック音楽のコミュニティ育成に定評がある学校で、Anthony BraxtonやAlvin Lucier, Andre Vida, Le1f, Das RacistにAmanda Palmerといった著名人を輩出しています。あなた方の音楽的な発展に対してはどの程度の重要性があったんでしょうか?

BG: すごく重要だった。要は、僕らは"クールな"人間じゃないって事。僕は田舎育ちで、大学で知り合った友達とは違って、ポップカルチャーに対する本物の感性を持ってなかった。ニューヨーク育ちの人たちと知り合うと、みんなクールなアングラバンドやその周辺事情をよく知ってた。知らないことだらけだったけど、学内ラジオ放送をヴァーモントのバーリントンから聴いてて、ミックステープを送ってくれた親戚もいた。だけど僕がクールな音楽から受けた影響というのはほとんどそれが全てだった。自分一人で音楽を開拓してたときに、インターネットが実際にモノを調べられる場に進展して、一気に全ての扉が開けた。当時はまだ今ある多くの音楽ブログも存在してなかった頃で、とにかくallmusic.comを開いてはリンクをクリックしてた。大抵のことをそうやって知っていったんだ。当時はどの界隈にも執着してなかった。
その一方で、ウェズリアンに入学してすぐに実験音楽に興味が集中するようになった。Ron Kuivilaが僕のアドバイザーで、彼はコンピューター音楽やプログラミングやシンセの知識が豊富だった。ウェズリアンではその関係の歴史が豊潤なんだ。John Cageも携わっていたし、David Tudorは自身のエレクトリック機材のコレクションを保有してた。僕もアンドリューもそういった手法で学んだことが鍵だと思ってる。プレスでは全く取り上げられない話題ではあるけど。多様な人々がどのように音楽を模索してきたのか理解しようとするだけで多くの糧を得たし、その内の多くの人たちの基準が聴くに耐えないものではあっても、やっぱりどれも興味深いものだった。それが今の僕らに染み付いてるんだ。

アメリカの中流階級、郊外出身ロッカーには長い歴史がありますが、サバービアについて歌うとなると、例えば不格好で、不確実で神経症的な暮らしをこき下ろす内容が大半です。ところが逆にあなた方はそれらを受け入れている。善かれ悪しかれ、自分たちがどんな人間であったか、どこから来たのかを隠す素振りも全くないんですよね。

AVW: 僕らは生い立ちにしても、そこから広がる不確実さという概念にしても、一部として否定して来なかった。ウェズリアンでの仲間たちはみんな、ミルクシェイクを飲んだり、モールに遊びに行ったり、コネチカットのロードサイドアトラクションを発掘したりに夢中だった。すごく"アメリカ的"で、都会的な生活とはいえない。そういう経験のおかげで大学生活が特別なものになった。 ウェズリアンでの音楽に関して言えば、Anthony Braxtonの"ラージ・アンサンブル"を2度受講した。きちんと楽譜も読めなかったけど、全く問題なかった。というのも、彼の譜面が面白くて、拍子記号が9/16とかそんな感じで、初見で演奏するのが物凄く難しかったんだ。だけど講義自体は素晴らしくて、ほとんどの授業時間が驚くような接点から脇道に逸れて全く関係ない話題に費やされてた。ポップカルチャーの話題で終わることもあれば、Alien vs PredatorだったりBritney Spearsについての話題で終わることも多かった。そうなると彼は自分自身に苛立ち始めるんだ。「何でこんな話をしてるんだ?」って。音楽を演奏するという場所じゃなかったけど、そういう彼を見てるだけでも面白かった。Daniela Gesundheitという素晴らしい声楽の才能の持ち主を迎えて、彼の実験オペラを演奏したこともあった。ZsのSam Hillmerもいて、 有能なギタリストのMary Halversonも一緒だった。

実験音楽がお二人それぞれに重要な影響を与えたということですね?

AVW: そう。ウェズリアンでの現場はかなり大規模で、きっとそれが僕らに影響したんだけど、こういった授業を受けたりする事で、その教育的な手法に時々物凄く胸が痛んだりもした。それこそが他の何よりも重大な概念だった。だからこそ初期の僕らのショーや生演奏への取り組みは ―ほとんどパロディに近いような、皮肉な形で実験的な要素に目標が置かれていたんだ。堅苦しくて気取った感じのコンサートに通って、その内容を可能な限りバカバカしく受け止めてた。だけどそれと同時に、クラヴィーア曲集に関する授業だったりAlvin Lucierの講座だったり、ベンと一緒にそういう経験を積む事は造形的な作業でもあった。

BG: 僕らにとって実験音楽っていうのは、"良いセンス"を窓の外に放り投げて、そのセンスがどんな構築を成すのか確認するってことなんだ。音楽は他の何にでも成り得る。今のところ個人的にはセンスっていう理念やそれに基づいた演奏に興味を引かれてて、ちょっかい出したり、良いセンスってものが何なのか解明しようとしてみたり。必死にならなきゃいけない。「センスなんて下らない、そんなものには左右されない」なんて言ってるだけじゃいけないんだ。John Cageも同じように影響されたんだと思ってる。

Congratulationsの"Siberian Breaks"にあるような、目まぐるしい転換を思い浮かべたというか、Carly Simon的に再構成された音感の塊のようで。アダルトコンテンポラリーの虚無に追いやられて来たものが、誰かのフィルターを通してその妥当性を回復するというのは興味深い事ですよね。誰かというのは例えばあなた方であったり、Ariel Pinkであったり、これまで6, 7年続いているニューエイジの影響の再現もそれに当てはまるかと。ある種の進展に関与する際に必ずしも音楽が重要である必要はないと感じます。

BG: 何がポップか、何がポップじゃないかって基準があるのが可笑しいよね。実際にジャーナリストと言い合いになりかけた事があるんだけど、彼はなぜMGMTが急にこれ以上ポップミュージックを作らないと決めたかってことを語らせようとしてきて。そうじゃない!僕らはポップミュージックを作ってるんだ!誰がポップミュージックを作ってるのか、誰がそうじゃないのか、なんて、誰が決めるんだって話で。可笑しいとも思うよ。かなり自惚れた連中がブログ記事を読んで誰も知らない事柄を発見しても、世間の人にまで知れ渡ってしまったら、それはもうクールな事柄ではなくなる。そういう理念の全体像が、僕にとっては奇妙に思える。ある意味でそういう事に対して超然と構えるのは大事だと思うけど、すぎるのも良くない。

自分がそれを好む、あるいは知る数少ない人間の一人だったのに、突然有名になってしまった音楽に対して、攻撃的な感情を持った事はない?

BG: 子どもの頃はそう感じてたけど、大人になった今は違う。ワクワクするだろうな。5年前には誰も知らないだろうなって、そんな音楽を聞いてる自分ってバカかもって思ってたバンドがあったとして。ブルックリンのバーに入ってステレオからそのバンドが流れて、みんながノってて。このすごい音楽をみんなが聞いてるんだって、嬉しいと思うよ。自分だけじゃないって感じられるだろうし。だけどニューヨークは厳しい場所っていうか、多くのバンドがひしめきあってる街なわけだから、皮肉な考え方が起こる理由も理解できる。誇張されすぎてて関わりたくないと思うものもたくさんある。最近話をするミュージシャンの多くが、商業的な側面に気を取られ過ぎて、自分自身をどう売り込むかって事ばかり考えてると思う。関係無いことに悩んだり彼らのやり方を世間がどう思うかなんて考えないで、ただ良い音楽を作ればいいんだ。Congratulationsでの経験とか、僕らを特別視してた人たちからの反発を食らって以来、特にそう思う。彼らは間違ってただけで、僕らはなるべく僕ら自身について語り過ぎたり、間違いを正そうとしない方が良いって事を学んだ。それがポップミュージックであり、ポップカルチャーなんだと思う。世間って色んな意味でバカげてるけど、それでもその一部に加わったり解体したりって作業は楽しい。

他人の音楽を自己流の解釈で自己流に編成、あるいは解体しながらカバーするDIYのカラオケバンドとして、始まりはどんな風でしたか?

たぶん他のバンドをカバーする事は抜きんでて重要で、それはセカンドの主題でもあった。Congratulationsの主な意義は大好きなアーティストやミュージシャンに対する企てだった。主力な影響力を持ってた人たち、60年代にある程度の評価を受けたグループにいたのに、そこから脱退して個人主義的な、風変わりなソロ作品作ったような、Skip SpenceやMayo Thompsonみたいな人たちの頭の中に入り込みたかった。僕はずっと一度限りの個人事業開拓ってものに興味を持ってきた。それが前作のアルバムで強調しようとしてた音楽の側面だった。だけど音楽を作るためにカバー的な事をやって深く考え過ぎないっていう発想はすごく良かったと思うよ。

Congratulationsの製作過程ではEnoのオブリーク・ストラテジーズを茶化した一連のジョークを飛ばしていましたよね。―彼の格言カードは創作活動の頓挫を乗り越えようとしているアーティストの助けとなるものなんですが、自作の擬似版にオブリーク・ストラテジーズと名付けて、1枚目のカードには恐らく"マスかいてろ!"と書かれていて― 彼にちなんだタイトルの曲もありました。

BG: 何はともあれ"Brian Eno"は友好的な曲だよ。僕らはBrian Enoが大好きだけど、彼に関するジョークを歌うのは楽しいんだ。たくさんの人が彼を無敵の存在だと見なしてるからね。彼はユーモアのセンスを備えた人だと思う。

実際、ピート(・ケンブラーこと Sonic Boom)はかなり気に入ってた。新しい"とんまカード"作りを楽しんでたよ。ノート一冊を格言でびっしり埋めて、その内の多くをEnoのオリジナル版から持ってきた。Enoは"とんまカード"の事を聞いて、面白いと思ってくれた。

もしかすると彼自身に訴えを起こすかもしれませんね。ともかく、Congratulationsによって、世間の目がMGMTに向いたわけです。そうでなければ全く相手にされなかったかもしれない。アルバムはKemberの60年代サイケデリア80年代版を切り開いているような、おおよそ三重に屈折した音だと感じました。

AVW: 実際はそれ以上に屈折してると思うよ。ブルースやフォークの類に注目した60年代のバンドに注目してるわけだから。ピートはThe Rolling StonesやElectric Prunes, Yardbirdsに入れ込んでて、彼らが全盛期にアメリカのブルースとフォークを合体させようとしてた事を分かってた。実はCongratulationsに取り掛かるまで会ったことがなかったんだけど、僕らはSpacemen 3とSpectrumのファンだったんだ。マリブのスタジオに入って最初の数日間、彼はディナーの席にiPodを持ち込んで、僕らは聞かせてもらった曲にただただ圧倒されてた。

彼はたくさん意見をくれた。―適当にギターを弾きながら、僕らの音楽を聞いて思い浮かべた曲を進めてくれた。「Spacemen 3みたいなカッコいい音にしてくれ」って具合にあっさり彼に主導権を譲った。スタジオは快適だった。僕らの仕事は僕らの手で音楽を作ること。クールなコラボレーションではあったけど、方法は彼が今まで誰かとそうしてきたやり方とは違ったと思う。―彼に方向性を決めてもらえるように、なるべく手をかけず、生に近い状態のものを預けた。イライラさせたこともあったと思うよ。彼には何かしら期待があって、僕らは期待に応えられるほどの音を出せてなかった。Oracular Spectacularでは人に主導権を譲るのも嫌々だったし、できる限り僕らのオリジナル盤の組成を残しておきたかった。実際、そういうやり方にはかなりの限界があった。自分の考えに深入りしすぎて、自己を保つ方法を見失ってた。新しいアルバムではDave Fridmannにかつてないほどの気前の良さでプロデューサー任務を譲った。彼はかな中立的な人だから、前回は彼から評価を求めたりもしなかった。でも今回は意見を聞いてみた。結果的には製作過程の各段階ごとに彼から励ましをもらう形になった。

MGMTにはFridmannの痕跡がかなり色濃く現れていますね。Flaming Lipsとの仕事でよく知られている彼ですが、MGMTはかなりThe Soft Bulletinに似通った音というか、印象的に弾むドラムやごちゃまぜのシンセといった部分に通じるものを感じます。実際、Flamig Lipsの最新アルバムThe Terrorともそう遠くない音だと思うんです。

AVW: 一緒に仕事をする以前からのFlamings LipsとDavid Fridmannのファンとして言えるのは、Tar Box Road Studiosに入っておいてSoft Bulletinっぽくないドラムビートを刻むのは至難の業だって事で…

BG: アンドリューと僕で機材を全部並べて、アナログのシンセとシークエンサーとドラムマシーンをひとつに連結した。録音ボタンを押して文字通り数時間に及ぶ音楽を仕上げて、その大部分が、目的意識を持たずに作った即興だった。膨大な量の要素を組み立てた後、それを次の段階に進めるって考えたら、すごく怖くなっちゃって。かなり出来の良い部分があることは分かってても、それをどう扱えばいいのか分からなかった。デイヴが歩み寄ってくれた事で、作曲家である以上に編集者である自分を受け入れる事ができた。僕にとっては大部分の音楽作品が退屈なものだからね。嫌な奴だと思われたくはないけど、音楽を聞いてこう思うことがよくあるんだよね。「その作曲の才能で誰の気を引こうとしてるんだ?そうだね、複雑な構成が盛り沢山だけど、それがどうした?」って。僕らはこういうものを作って、これが何なのかもどうしてこうなったのかも分からないけど、とりあえず一番良い部分だけ切り取ってくっ付けてみようかって考えたんだ。

Oracular SpectacularでFridmannと仕事をした際は、あなた方が大量に持ち込んだ自宅録音のローファイなトラックを、彼は自身のハイファイスタジオで見事に融合しました。例の独特な―複製され世界中に発信された―音楽は、アマチュアリズムと専門知識という、普通ありそうもない組み合わせから生まれたものだと言えるでしょうね。

BG: 面白い思い出としては、僕らは当時、時々愚痴を垂れてた。「こんなに豪華なスタジオにいるのに、作り直してくれないの?高級なマイクで録音し直してくれるんじゃないの?」って感じで。僕らにはちっとも理解できなかったけど、その時の彼にとっては滑らかなレコーディングを目指すよりも、僕らの雑音混じりのデモと初期のレコーディングにあった特異体質を利用して、それらを変形していく方が面白い作業だったんだ。彼はレコーディングに関して完全に独学で知識を得たTame ImpalaのKevin Parkerと似たような事をやってた。Daveも彼のユニークさを音作りの重要な要素として扱ってた。その一方で僕は、誰でもレコードを作れる現状にワクワクしてる。最近のプラグインはかなり進歩してる。みんながアナログの良さを語ってて、それが正しい場合も確かにあるんだろうけど、どうだろうね… 誰でも寝室で高音質な録音が出来るって事の方が遥かに魅力的だと思う。友達のCarolynは全編MacBookのマイクを使ってアルバムを録音してるんだよ。

Molly Nilssonも全てのアルバムをそうやって録音してますしね。

BG: 後になって振り返ればもっと認識されることだと思う。みんなラップトップ内蔵のマイクは音割れが酷いと思ってる。だけどこの頃じゃ4トラック収録して、過去に誰もやったことがなさそうな試みをそこに加えるのがすごく流行ってる。

ここで新作MGMTに話を戻しましょう。くっきりとした二面性を持つ作品だと思います。A面では慣例通りの曲に関心が向いている一方で、B面は暗さがあって、非建設的な、より実験的な編成で、曲や和音の構造が予想外な形で現れていますよね。

実は、アルバム後半に収録されてる曲の多くには調和的な構造が全く存在しないんだ。各層がお互いに何層も重なり合ってるだけで、従来の感覚からすると噛み合わない音調がたくさん含まれてる。だけど同じことは前にもやったよ。"Astromancy"は最終的に僕のお気に入りになったわけだけど、最後に仕上げたのはこの曲だった。この曲の語る状況は何一つ噛み合っていない場において、音と音の間にあらゆる形の空間が存在していて、そのせいで一点にすら集中できなくなってしまう。あらゆる音の要素が現れて注意をそらそうとしてくるんだ。それを知るとまた別の聞き方が出来るんじゃないかと思うよ。

アルバム後半では全てが一転する。例えば"I Love You Too, Death"みたいにある特定の曲については、僕らは二人ともSuicideの"Dream Baby Dream"だとかTowering Infernoの作品にあるような単純さに興味を持って、今まで作り上げたことのないような曲の形を完成させようとしてた。上昇線にすごく似てて、加速していく列車が、ふと切り上げになる感じ。ヴァースもコーラスもない。勢いで突き進んでく。

アルバム前半では、ポップなアレンジという要素がある一方で歌詞はかなり暗い、という両者の対比に興味をそそられました。VUの"Who Loves The Sun?"だとかThe Stone Rosesの"I Wanna Be Adored"といったような、特殊な感じのポップソングを思い浮かべました。 ―例えば"Your Life Is A Lie"がそんな風に聞こえるんですが。

AVW:「魂を売る必要はない、彼は既に僕のもの…」

BG: いくつかの点についてはCongratulationsよりも楽観的なアルバムだと言える。内容は権力譲渡についてだから。つまり、僕らは恐ろしい物事に真正面から立ち向かって行く強さを持ってるってことを歌っているわけで。次々に出てくるインディーバンドに… 何もかも上手く行ってる、ここは平和で安全な場所だなんて言いふらしてる連中にうんざりしてる。何もかも上手く行ってるはずがないし、みんなちゃんと気付いてる。だけど僕らならちゃんと対処できる。このアルバムは暗くて陰気だと思う。それが現実だから。このアルバムの内容は、良い意味で発狂することでより現実的になろうってこと。「何もかも最悪だ」なんて言わないよ。そういう虚言に反抗して行ければ、世の中はもっと良い方向に転換するし、自分も良い人間に近づける。

AVW: 不思議だね。過去3作に収録されたほぼ全ての曲が、歌詞より音楽を先に完成させたものなんだ。だから歌詞を書くとなっても、曲と歌詞の雰囲気の間にそれほど大きな不一致性は求めない。思うに、意識してるかどうかは別として、不一致性というのは当初からバンドの精神の一部として存在してた。大学の最高学年のときWe Care/We Don't CareっていうEPを作った。僕にとってはそれが、二つの対称的な事象が同時に起こる状況を好む僕らの性質の現れだった。だけどベンが言ったように、Congratulationsにはもっと暗さのある瞬間があったと思う。話題にされるのはMGMTの方なんだけどね。異なる12個の現象が同時に起こってる状況で、1時間半その場しのぎしてるような、お互いに目を見合わせながら、どこから音が聞こえてくるのか、誰が何をしてるのかも分からずにいる。そこでは何か、彼岸の出来事が起こってるんだ。多くの新曲の内容は恋愛関係とか、ぼんやりとした悟り、より深い答えを求める生来の積極性 ―それから、その道を歩き出すまで注意力を保てない事対する苛立ちについて。

BG: アンドリューは物事の神秘的な面に惹かれる質で、僕は合理的な科学とか数学的な部分に惹かれやすい。僕は神秘性やら迷信の類にそれほど寛容になれるわけじゃないけど、それに反してアンドリューはそういうものにのめり込むのが好きなんだよ。いまだに時々言い合いになったりするけど、それでも僕らはお互いに愛し合ってる。

それって不思議ですね、ベン。というのも私はあなたから信仰心の強い印象を受けたんですよ。Jewish Chronicleのウェブページで見つけた引用区によると「僕は不可避的で根源的なユダヤ人だ。ユダヤ人として精神が心に、頭に、そして血筋に宿ってる」そうですが。

BG: そんな事言ってないよ!完全に文脈を読み違えてるのか ―むしろ全くの創作だね。多くの人の目に触れるものだとは思えないけど、自分の論説を有利に進めるために何かをでっち上げようなんて考えるのは最悪だ。僕はどの宗教も信仰してないけど、全ての宗教に興味を持ってる。ただその内のひとつだけに身を投じようとは絶対に思わない。

つまり宗教に関しては懐疑的な立場を取る、ということですが、政治に関しても同様に慎重な構えなんでしょうか?新作のアルバムを「多面的に反政治的」と表現していますね。これはどういう意味でしょうか?

BG: 歌詞を書くのはアンドリューだけど、アメリカの現状のいくつかの項目に関して、物事が完全におかしな方向に向かってるってことは言える。政府が僕にとって最善の政策を取ってくれると信じる、とはとても言えない所まで来てる。だけど同時に、それは政治団体とは全く関係無い問題なんだ。ただ現状のままでは安心できないってだけで。この国の人々が、昔からそうしてきた通りに、各々の自由をあって当たり前のものと捉えられるのかと考えると、完全には自信がない。

と言うと?

BG: 人間が当然持つべき基本的な自由が組織的に冒涜されている場合があって、それって恐ろしい事だと思う。だけど明らかに政治的な音楽の大半に苛立ちを感じる。音楽は崇高な芸術であって、時事問題を歌うだけがその全てじゃない。僕にとって大切なのは音であったり、音を通じた超越的な経験であって、余りにも文学的な歌詞をつけることで言葉がその妨げになることもあると思う…

AVW: つまり、政治的な動きや最近の大事件と明らかな繋がりを持っているかどうか、という観念から判断すれば、僕らの音楽は"時事的ではない"。音楽は自分自身にどういうものかと問いかけたり、こういう風に表現したいって考えるときに、一層自分自身の感情を浮き彫りにしてくれる。(音楽が)その時々の自意識や感情と密接に繋がってるって事は、世界中で演奏して色んな人に会ってきた結果として、どんな状況でも共通してるんだと思う。ベンが言ったように、政治団体よりも遥かに大きなものでありながら、定義したり論じるのはすごく難しいもの。それでも、それが存在してるってことは分かってる。表面的には全てが順調に動いてるように見えるけど、潜在的には何もかも間違ってるって感覚を孕んでるような感じ。その理由を語るのは難しいし、例え言葉にしようとしてみても、なぜか上手くいかない。僕は(そういう感覚を)言葉で表現したり定義するのは得意じゃない。恐怖心というか。完全な自覚はなくても、僕は高校の頃からずっと、自分が打ち込んだ文字とか、書いた文章とか、開いたウェブサイトはどれも、自分以外の誰かにも見られてるんだって思いながら生きてきた。たぶん同じ気持ちでいる人は大勢いるけど、そういう状況に変わったのは世間の大半の人たちがその事について軽く考えるのを止めて、大惨事だと考え始めるようになった極最近の事だ。ベンも僕も最先端の情報はすぐに仕入れてるけど、それを暗号めい形式を使わずに音楽に取り込みたいとは思わない。直接表現するのが怖いだけかもしれないけど、もしも誰かが思いっきりボブ・ディランじみた事をやったとして、それが今のご時世に適しているかと言えば疑問なわけで。

おかしな話なんですが、新作に収録されたものの内 バンドとしてのあなた方を的確に言い表している歌詞がFaine Jadeのカバーの中にあって…

AVW: 言いたい事は分かるよ。「完璧を必死に追い求めて、それが現れたら見つからないよう身を隠して…」