20150701

【海外記事】Mika Finds a New Happy Place with No Place in Heaven

OUT.comでのインタビューより。



あなたは初期の二作をませて子供じみた要素を持っていると説明して、一方で三作目についてはより真面目なアルバムと表現しました。今作はどのようなアルバムだと言えますか?


四作目のアルバムは、以前よりポジティブな ―よりオープンなヘッドスペースが出した結果だ。30歳を過ぎて自分に誓いを立てた。あまり自分自身を孤立させないことと、もう少し気楽で率直な態度で物事に取り組むこと。姉と一緒に小さなデザインスタジオを作って、昔実家のキッチンでしていたみたいに、また絵を描き始めた。要するに自分を解放して、脳みそを必死に働かせて ―挑戦することで自分自身を怖がらせていた。その結果としてアルバムはまっすぐで、憂鬱で、オープンで、率直で、ふざけていて、けれど成熟したポップアルバムに仕上がった。一作目でそうだったのと全く同じように、60年代のポップミュージックから影響を受けたものに。

アルバムを高校として考えたとき、二年生のミーカは一年生のミーカに対してどんなことを教えるでしょうか?レコード作りに関してだけでなく、総合的なキャリアについて。


シートベルトを締めろ(笑)僕のようなアーティストにとっては ―もしも僕にマシュー・マコノヒー並みのスーパーパワーがあったら、こんな説明をするだろう。ブラックホールをくぐり抜けて、若かった頃の自分にこんな風に語りかけるだろう― 「勇気を出して大胆になれ。あえて他人と違う人間になれ。なじまないことを恐れるな。そうある理由があるんだったら、それは正しいことなんだ。」

曲作りが終わったと分かるのはいつ?


その曲を聴いても何も思い浮かばなくなったら。その曲が促すままにある場所に運ばれていく、というのが僕の作曲のスタイルだ。もちろん、正直に言っておくと、僕は一度レコードが完成したら二度と聴き直さない。全部未完成のような気がしてしまうから、自分のアルバムは聴けない。それが常にパフォーマンスを楽しめる理由で、というのも楽曲は生き物で、ある形でアルバムの中に捕えられていて、それがステージの上では自分と観客によって進化していくから。

Good Guysという実に際立つ曲では”ゲイの人たちはどこに行ったの?”という質問が繰り返されます。この曲について聞かせてもらえますか?


僕は巨大なビジネスの中にいた。アルバムの曲作りの最初の週に、大きなスタジオで業務会議を開いた。僕は辺りを見渡してこう言った。『信じられないよ、つまり君たちが世の中のポップミュージックの大半を書いてるんだね。』彼らはテイクアウトの食べ物を食べていて、その内の二人はちょうどジム帰りで、僕は彼らを少し眺めてこう言った。『それってすごいね、でも… ゲイの人たちはどこに行っちゃったの?』彼らは無表情って感じの顔で僕を見た。でも本当にさ、ポップミュージックのティン・パン・アレー ―作曲とプロダクションに携わる人たちはどこに行っちゃったんだろう?僕はそれが可笑しかった。彼らはちっとも可笑しいとは思ってなかった。さあ曲を書こうとなった時にそのことを思い出して、あれが実際の聞こえほど冗談めいてもバカげてもいない会話だったことに気付いた。あれは自分自身に対するメッセージのようなものだった。15歳だった僕を刺激してくれた人たち、崇拝していたヒーローたちはどこに行ってしまったのか。彼らは今どこにいるんだろうか?僕も思い切って彼らのようになれないだろうか?どうすればあんな風になれる?どうすれば、対応せざるを得ない自身の影響力とその結果に気を取られることなく誠実に自分の人生を生きた男たちの仲間入りができるだろう?思うに、あれは僕にとってときめくような瞬間だった。よし、やってみよう。そこに行ってみよう。若かった頃、自分にもあんな風に生きる勇気があればと憧れた、そんな人たちを目指して挑戦しよう。答えは目標じゃない。大事なのはそれを求める過程と自己分析だ。

同性愛の支持範囲において音楽はどんな位置にあると思いますか?


1950年代以降、音楽は… 1950年代はナシで。1700年代以降、音楽はたとえ偏狭な社会においても表現の自由が存在した数少ない場所のひとつだった。ある類の文化においては、より繊細でより控えめでなければならない状況でも、音楽はいつも口実をくれた。セクシュアリティに関して言えば、政治的かつ社会政治的な支持を得る機会を。現在もそれは全く同じだと思う。音楽とは書き手として、聴き手として、自分自身を発見できる区域だから。聴いている音楽のファンである自分を発見する場合もあるだろう。僕は楽天家で、媒体としての音楽は信じられないくらい寛大なアートの形式だと心から思っている。でもそれをメディアの視点から見てみると、話が変わってくる。とても良いことだと思うし、かなり良くなっていくと思う。まだまだ道のりは長くて、それについて僕はきちんと認識している。主流のメディアの範囲内で理想とされるのは非反応性で、少し言及するだけでも嫌がられる。だからセクシュアリティとか、たとえば歌手がラブソングの中で歌うセックスがどのようなものかにかかわらず、その歌が該当する形式には何の影響もない ―いかなる面においても、その歌事態の商業的な成果や露出が侵害されるわけじゃない。そういう境地に達するものこそ良い音楽だと思う。
(※サム・スミスはより広い支持層を得るために楽曲中でセクシュアリティに触れるのを避けていると発言している)

このNPRポッドキャストにはPop Culture Happy Hourというわたしのお気に入りのコーナーがあって、みんなで机を囲んで、その一週間にハッピーになった出来事について語り合うんです。今週はどんなハッピーな出来事がありましたか?


実は、かなり素晴らしいことがあったんだ。人間というものは必然的に日常生活によって心を閉ざすようになっていく。たとえ社会的にそれを否定するような態度を取っても、外部の世界いて自分の感情を守る時には、やっぱりそれなりに無情な構えを取ってしまう。人間は自分を守ろうとするものだし、僕だってそうだ。先週Webster Hallでのショーの間、僕は観客の顔を眺めながら、彼らの表情が変わっていくのが分かった。彼らは心を開いた状態で、周りに誰がいようと、もうボディーランゲージを使って自分自身を守ろうとはしていなかった。彼らは受け取るのと同じ分だけ与えていた。その率直さや開放感は感動でもあり癒しでもあった。目の前で実際にそういう人々の姿を見て、音楽の影響に改めて気付くことができてすごく嬉しかった。それが僕のハッピーな出来事。

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