NMEの記事から。面白かったので和訳してみました。ベスト盤収録曲については触れられていません。一部曲名に和訳記事をリンクしています。
Anthems For Doomed Youthの和訳は年内にできたらいいなと考えています。
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The Libertines - 全アルバム収録曲にまつわる秘話解説
The Libertinesの再結成が近い将来起こりそうな兆しがちらちらと見える中、素晴らしい戦艦アルビオン号はいつ今一度の航海に出発してもおかしくはない状態だ。彼らにスターの座をもたらした楽曲について、その背景を掘り下げるには絶好の機会である。Up The Bracketの先頭打者Vertigoは、ハンコックのHalf Hourへの言及 (「リードパイプがあれば、幸運は我が物」)を持ってして、彼らの極めて英国的な見地を出だしから固める楽曲である。
2001年6月に行われたThe Strokesの圧倒的なロンドン公演を見た後、バンドは初期のノスタルジックなサウンドから方針を変え、その直後にまわしを締め直す意図で書かれた数々の楽曲の内の一曲がBoys in the Bandだった。「その辺りでアプローチの手法が変わって」と、カール。「以前より少しだけ無情で、少しだけ絶望的で、少しだけ激しくなった。」バンドはそれをプランAと呼んだ。
Radio America
バンドの中で評価がまっぷたつに分かれる楽曲 Radio Americaは、何通かの気まぐれなブラックメールのおかげでUp The Bracketに登場するのみで終わった。「(カールに)金を貸してたんだ。借金をチャラにする代わりにRadio Americaをアルバムに入れてもらった」と、ピートは当時語った。「これぞまさしく典型的なリバティーンズ。完全にはしたない。」
Up The Bracket
Teesdale Roadにあるピートとカールのフラットから程近いBethnal GreenのVallance Roadに言及するUp The Bracketは思わしくない乱闘にまつわる曲で、その経緯は最も英国的な方法で語られる。「二本の冷たい指」はVサインを見せつける仕草を表す懐かしい表現方法のひとつで、戦いに負けると指を切り落とされるイギリスの弓兵によって考案されたと言われている。
リバティーンズの持つ典型的なイデオロギーにまつわる楽曲であると同時に、訳知り顔で偽善者ぶったような楽曲でもあるThe Good Old Daysには、バンド内部についての言及が詰め込まれている(「アルカディアの夢」「航路を進むアルビオン号」そして「ピッグマン」-ドハーティのあだ名― も同様に)けれどもその上で、ノスタルジアを感傷的に演じる試みを非難もしており、それをバンドが力ずくで行ったことは明らかだ。
I Get Along
I Get Alongはデビューアルバムのトリであるが、初めて姿を見せたのはファーストシングルWhat A WasterのAA面として。ファストペースでパンクな雰囲気を持つ享楽主義と甲高いお祭り騒ぎの歌は主としてカールによって制作され、しかしながらLetterman Showでは検閲により、歌詞のヤマ場である”fuck ‘em”を”Your mama”に変えざるを得なかった。
元々は遠距離のロマンスの維持を目的とした頌歌として書かれ、それに続くピートの服役期間が「いつかまた会おう/ああ友よ 払うべき犠牲がある」といったような歌詞に新たな感慨を付け加えた。メロディーと歌詞の大部分はMasters’ Apprentices’による無名の楽曲War Or Hands Of Timeから引き揚げられたもので、「ささいな泥棒行為」とピートは言ってのけた。
Don’t Be Shy
The Libertinesによる2003年のBabyshambles sessions (Babyshambles自体が結成されその名を名乗るようになる以前)の期間中に初めて録音が行われたDon’t Be Shyはアルバム中で最も軽やかに狂気を表している楽曲だ。「ラストチャンス・サロン」や「酔った老女王たち」には頷ける所がある、がしかし、やはりバンドの持つ英国的な伝統によって、それらは曖昧なものとして保たれている。
The Man Who Would Be Kind
Rudyard Kiplingによる同名の友情にまつわる短編小説から名付けられたThe Man Who Would Be Kingには同じくバンド自身の経歴が反映されている。冒頭のコードはデビューアルバム収録Tell The Kingのそれと同じ進行である一方で、「お前にちょっとした秘密を教えてやろう」というセリフは「お前にもうひとつ秘密を教えてやろう」に差し替えられている。
哀愁を帯びたデモ作Legs 11で初めて世に出たMusic When The Lights Go Outは、当初の形式ではアルバム収録版よりも遥かに柔らかい印象だった。「見事で豊かで熱狂的な要素の溜池を持つというのは良いことで、おかげで若かった頃の、生意気で理想家だった自分たちについて、ものすごく歌いたい気分になれた」と、カールは楽曲について語った。
「The Ha Ha Wallの始まりはカールと俺にとってのまさに初めての晩、お互いに出会って、憎悪と避け合いの1年を過ごして、ようやくギターを弾く友達同士という立場に落ち着いた1998年まで遡る」と、カートは楽曲について語る。「俺たちが初めて一緒に書いた曲が成長してThe Ha Ha Wallの姿になった。」
Arbeit Macht Frei
Work makes you free(仕事は自由を与える)と訳されるこれは第二次世界大戦中に多くのナチス強制収容所の入り口に掲げられたフレーズである。楽曲の歌詞は憎悪と偽善に視線を向けている。
Champagne of Hate
“Mugs!”(バカ!)や”Oh my god!”(うそだろ!)といったアドリブの叫び声が特徴的な、このいかにもロンドン的な、おそらく、ごまかしや若者同士の間で生まれるプレッシャーを表す頌歌は多くのThe Libertines(放浪者たち)が抱えていた重く、より個人的な事柄にまつわる問題の中に共通して存在していた、短くて気軽なインタールードだった。
アルビオンという詩的な幻想とつながる海事の、海賊らしい叙情主義(「ヨー・ホー・ホー」「ジュークボックスの8番目の曲」)の残りかすであるTomblandsは、一時的にアルバムのタイトルトラックにとも考えられていた。もうひとつの、冗談のようで詩的さに劣る選択肢はThe Brown Album - The BeatlesのThe White Albumにちなみヘロインを引き合いに出したタイトルだった。
The Saga
パリへの旅行中、やはりMontmatre’s Hotel France Albionで行われCan’t Stand Me Nowを生んだ例の作曲セッション中に書かれたThe Sagaの着想となったのはPaul Roundhillという友人で、彼はピートに手紙を書いてますます深刻化していた薬物依存への警告を伝えた人物である。
Road To Ruin
おそらくはThe Sagaというピートのボソボソとした言い訳に対するカールの反撃であるRoad To Ruinのきっぱりとして率直な歌詞(どうすれば/分かってくれるんだ?/お前が何者かは/お前の手に記されている)とあからさまなタイトルには解読の必要がない。もうひとつの楽曲All At Seaも、少し前の段階でのデモセッション期間中にはRoad To Ruinと仮で呼ばれていた。
70年代に英国で放送された同名のシットコムから名前を取ってつけられたWhat Became of The Likely LadsはCan’t Stand Me Nowで始まった時と同様の率直で探究的な作風でレコードを締めくくる。「将来有望な男たちはどうなった?俺たちが持っていた夢はどうなった?永遠はどうなった?」
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