「英語は結論から先に言うから日本語みたいに最後まで聞かなくても話の内容が分かるんだよ。」
なんつって英語教師に言われたことを思い出します。中学1年の時に。
でも今なら思います。英語だって最後まで結論が分からない時があるよ、と。
その先生が言いたかったことは、例えば日本語では「わたしは勉強をした」という時「わたしは勉強を」までは「した」のか「しなかった」のか分からないのに対して、英語ではI did studyのdidの時点で「した」と分かる、ということなんですが。
特に小説なんかだと、thatやらwhichやらで長々と伸ばしまくってる文章をよく見かけます。そういう文章は最後まで読まないと、結論が分からない。
歌詞を例に挙げると、The KillersのSomebody Told Me。
Well somebody told me you had a boy friend who looked like a girlfriend that I had in Feburary of last yeat.
これを教科書的に訳すと
君は僕が去年の2月に付き合ってた彼女みたいな彼氏と付き合ってたって誰かが僕に教えてくれた。
意味分かんないでしょ。歌詞の意味が分からない前に、まず言葉が頭に入ってこないし。
でも実際に英語で読んだままの感覚で日本語に訳すと
誰かさんが教えてくれたよ、
君には彼氏がいたってね、
彼女みたいな彼氏だってね、
僕が去年の2月に付き合ってた彼女みたいな。
という風に、倒置法を使った表現になります。日本語の日常会話でよく使われるような形で、英語でも、強調したい部分を文章の後に持ってきています。
こういう文章はそのままの順番で訳します。その方が分かりやすいしね。
ただし。
例えば文章がthatとかlikeとかで日本語と語順が逆になっている場合は、教科書通りに訳します。例えば
I took the seat that was empty.
は「空いていた椅子に座った」と訳します。当然ですね。日本語と語順は違えど、倒置法に直す必要はないので。
間違っても「その椅子に座ったんだ。空だった椅子にね」なんていうアホ丸出しの和訳はしません。
our hands fit like a t shirt.
これは「僕らの手はTシャツみたいに良く馴染む」と訳します。
間違っても
「僕らの手は良く馴染む。Tシャツみたいにね」
なんていう訳し方はしません。
だって気持ち悪いでしょ。「みたいにね」ってドヤ顔されましても…って感じでしょ。
こういう感じの和訳って公式のブックレットでもよく見かけるんですけど、こういう不自然すぎる文章が大嫌いなんですよ。この気持ち悪さを解消するためにこのサイトを始めたと言っても過言ではない。
なので、わたしはなるべくそういう訳はつけません。
あと関係無いけど「~なのさ」とかも気持ち悪い。本当にそう言ってるっぽい文章ならいいけど「~なのさ」って日常生活で使いますかって話ですよ。どんなナルシストだよ。
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