20140206

【海外記事】Tom Odell: The Guardian

ガーディアンに掲載された記事より。デビューからブリッツ受賞までの道のりを中心に、作曲の着想や価値観について。

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ステージで演奏し、無我夢中になること ―ファッションと恥に制止をかけられる以前には"ロックアウト"と呼ばれていたであろう行為― は、アップライトピアノを担当楽器とする場合、そう容易くはないことは明らかだ。モノは固定式で、(フレディ・)マーキュリーのマイクスタンドのように派手に振り回すには重すぎるし、(ピート・)タウンゼントのリッケンバッカーのように破壊するには高価すぎる。トム・オデル ―発展途上の経歴を500ポンドのパイン材と象牙に繋いだシンガーソングライターは、彼なりの方法を心得ている。

ブライトンでのギグの前、サウンドチェックのために新作のアルバムからいくつかの少片を演奏するオデルは、ピアノの前に腰掛け、重厚なチェルシーブーツを履いた足でステージ床を踏み鳴らす。スキニージーンズを履いた腿を平手で叩き、髪を振り乱す。絶望的で陰鬱な失恋の楽曲を弾く間、彼の奇妙な型に切られたブロンドが垂れ下がり、鍵盤に触れそうな程である。より激しいコーラス部分で、22歳の青年は終始楽器から足を離し立ち上がって演奏する。ベン・フォールズ流だが、彼の場合はスツールの上で印象的にひきつってみせる。

「どんな感じ?」オデルはしかめ面で尋ねる。エンジニアは好感触を抱いている。意見を求められたのは奥でTシャツを並べるスタッフだった。「聞いてなかったよ」と、物販係の男が答える。「こっちの作業に夢中でね。」ファッションからタブロイドに至るあらゆる誌面において、クリス・マーティン二世として話題の存在になろうと、周囲の経営陣が密かに莫大なセールスを期待しようと、オデル自身は規格外な承認を必要としていない。

Songs From Another Loveと名付けられ、昨年リリー・クーパーのレーベルであるIn The Name Ofから発売されたピアノバラードのEPは、その魅力により、あらゆる媒体で2013年の注目株のひとつに挙げられた。翌月に発売されたデビューアルバムLong Way Downは2月のブリット・アワードに推進され、オデルは批評家による最優秀新人賞を受賞した。昨年の受賞者であるエミリー・サンデーが同席し、彼女もオデルのファンであると発言した。プレゼンターのジェームズ・コーデンは二人の間に挟まれながら、60万人の視聴者に対して「若き日のチェズニー・ホークスを彷彿とする」と告げ、恐らくそれは賛辞であったと思われる。

ブリッツの舞台上での彼は緊張しているようだった。青白く強ばった顔で、まるで最先端の未知なるテクノロジーに対峙するかのようにコーデンのマイクに首を伸ばして、質問に受け答える。その時のことを尋ねると、彼はこう答えた。「音楽のそういう面については ―難しい問題だと思う。僕はまだ駆け出しだけど、それでも、やっぱりね。この仕事に関して何より意義を感じるのは創作と演奏の分野で、その他は死ぬほど気が滅入るものだと言えるかもしれない。カメラの前に出るって、健全じゃないし、全く深みがない。」

我々は現場を離れとあるパブに移動した。クローネンベルグを半分ほど飲み、やや落ち着いたオデルは、筆者に対して気がねしているようにも、ツアーマネージャーが待ち伏せしているのではと気掛かりなようにも見える。彼の外見は年よりも若く(「口髭が生えないんだ」)、サウンドチェックではとても大胆な様子を見せていたものの、その自信が消えてしまったらしい。現場にて彼は、宇宙船のデッキに立つ艦長がごとく、腰を乗せたスツールを回転させながら、ピアノの裏からスタッフに指示を送り、バンドメンバーやローディーを指揮していた。その彼がパブでは気まずそうに貧乏ゆすりを始める。彼はしかめ面で質問を熟考し、そして時に、まるでステージ上で転換の激しい部分に差し掛かるように、彼の視線がテーブルの上を泳ぐ。

「変わってて気持ち悪いと思われるかもしれないけど」と、彼は言う。「遊び歩くのはそんなに好きじゃない。友達が多いわけでもないし ―本当に親しい友達は3、4人だけ。何より楽しいのはバンドと一緒に演奏することで、それ以外のことは何もかも どこか要領を得ない。社会的不適合ってわけじゃないと思う。ピアノの側にいる方が面白いだけ。」

そんな人間として、オデル曰く、彼は自身の人生における"間違い"に相当する"正しい"物事に割り当てられ易い。朗らかで真面目な22歳。彼は自らの真意を説明するための理論を持っている。「お皿がみんな汚れてて、キッチンがめちゃくちゃに散らかってたら… 一晩中眠れなくてクソみたいな気分だったら、そういう時にこそいい曲が書けるんだ。だって何かが壊れてて、それを修理する必要があるってことだから。だけどもしもお皿を洗って、早めに寝て、清々しい気分で目覚めて、朝の10時にピアノの前に座ってみたら、きっと全然上手くいかないだろうね。」

彼の楽曲は、そのしわがれた声とひねくれたコードを持ってして、破綻した恋愛関係の一つ一つを丹念になぞっている。Another Loveで歌われているのは、より良い相手との切ない破局の後に新しい恋愛へと気持ちを切り替えることの難しさ。Suppose To Beという楽曲には、侮辱的な程の気楽さを持つ彼女の生活を思い焼けぼっくいに火がつくことを歌った強烈な一文が存在する。いくつかは特定の、ある元恋人にまつわるもので、オデルは彼女との写真をEPのジャケットとして全面に押し出した。後に物販担当者は彼の過去の恋愛を印刷したTシャツを1枚15ポンドで叩き売ることになるだろう。「ちょっと変わってるよね」と、まるで初めてその事に気付いたかのように彼は言う。「うん。変だよ。ちょっとマズかったかも。」

どう言えばいいのか。歌詞を見る限り、あなたには恋愛の才能がないように思えてしまう。そう言う筆者に対し、オデルは「恋愛は苦手」と賛同する。「いつも頭の中で声が聞こえるんだ。『気を許しちゃいけない。落ち着いちゃいけない』って。幸せなときは作曲が進まないからね。誰かと付き合って、めった打ちにされて、傷つけば曲を書ける。何かを感じる必要があるんだよ」

この会話にオデルは一瞬、単調なアルバムになってしまったのではと不安に駆られた様子だ。「それについて批判されるとしたら、実際、つまり僕はその程度ってことだと答えるしかない。でも本当はそうじゃない。政治的な歌詞だって書けたし、他にも… 何だろうね。このビールについてでもいいよ。だけどそういう歌詞を書いたとしても、ここまで感情的で正直な内容にはならなかった。失恋すると凄く良い曲が書けるっていう、ただそれだけのこと。22歳の人間が友達と何の話をする?夜眠ろうとしてるときについつい考えちゃう事って?それはメールを返してくれない女の子の事。」

オデルの馴染みの店にて。何度か上の階で行った演奏については、彼曰く「この町史上最低のギグ」。ピアノのレッスンのために受けたリバプールの音楽大学の受験に失敗した後、彼は18歳で故郷のチチェスターを離れブライトンに移った。ブライトンでのどさ回りを決意した彼は、埠頭沿いのスタンドで売られていたピーナッツバターたっぷりのバーガーで食い繋ぎながら、キーボードを引きずり、飛び入りで演奏できる会場を探し歩いた。

そんな恋愛と共に過ごしたブライトンでの短いキャリアは、恐らくその時期に起きた災難の数々によって特筆すべきものになった。客が一人も来ないギグがあれば、もっと悪い事に、現れた客にからかわれた事もあるという。オデルが暮らしていた共同住宅は病院と警察署に挟まれていた。(「世界一うるさい場所」と彼は言うが、少なくともそのおかげでSirensという楽曲が生まれた。)彼は地元のパブでの仕事を解雇され、さらにはある日、バンド仲間からも見限られたのだ。

当時、オデルはTom and The Tides名義で活動していた。「僕は歌って、ピアノを引いて、精力的だった。ある時、一人の親友がバンドに加入した。そしてある時彼は、他のバンドメンバーを連れて脱退したんだ。メンバーには彼と一緒にやっていきたいって、そこに僕を受け入れることはできないって言われた。だから僕は…(落胆したような、がっかりしたような、痛烈な表情で)…"そうなんだ"って。」

Tom and The Tidesが2010年にブライトンのパブで演奏した時の映像が残されている。オデルはボサボサの髪にスプリングスティーン風のヘアバンドを巻き、大それた小型マイクのセットの下、キーボードの前に座り、バンドはキーボードの反対側に固まっている。「これからって時だった。」オデルは不機嫌そうに言う。それによって音楽の道を考え直したかという問に対し「音楽に関して疑ったのは一度だけ」と答える。「11歳の頃。スケールを弾くのが大嫌いだったんだ。」

ブライトンで厳しい1年を経験したオデルは、新生Tom and The Tidesを引き連れロンドンに拠点を移し、セントパンクラス駅中央ホールの最低価格枠を含む会場の予約を取った。(「すごく寒かった。歌手はダッフルを着て歌ってた。」)哀れなThe TidesのMySpaceページでは、例の悲しい死亡宣告の代替が見られる。「最終ログイン日:01/09/2011」。オデルは「誰かに頼らなきゃいけない自分が嫌だった」と気付き、自身の名義で活動を始めた。彼はイースト・ロンドンで集客20人ほどのギグを行い、その内の一人が、幸運にも、リリー・クーパーの友人だった。口コミを聞いたクーパーは彼女自らオデルの元を訪ねた。彼は彼女のレーベルと契約を結び、ブリックレーンの小さなスタジオでアルバムの製作に勤しんだ。

スタジオで撮影されたワンテイクの映像が昨年8月に公開され、その中でオデルは初期の楽曲Senseを演奏している。それはとても感情的な演奏で、声は掠れ、髪は鍵盤一面に垂れ下がり、そしてその僅か2ヶ月後に、彼のLater... with Jools Hollandへの出演が決定した。(パフォーマンスへの情熱が溢れ出ていた、とはプロデューサーのアリソン・ハウの弁である。)筆者はレコーディングの際にスタジオの観客席におり、Soul II SoulがBack To Lifeでクラブを湧かせ、ラナ・デル・レイがラジオにヘビーローテーションで取り上げられじわじわと人気を高めた後でありながら、最も深く印象に残ったのはオデルがAnother Loveで見せた忘れがたい演奏であった。フィルム換えの小休止の際、誰もが彼のリフレインを口ずさんでいた。ハウはそれを「古典的なLaterデビュー」と呼ぶ。

ブリッツの批評家賞候補が出揃う段になった時点で、オデルは受賞に値する候補者であったことは間違いない。しかし投票フォームの開設がLaterの放映と同じ週であったという事実は逆風にはならなかったはずだ。一部の批評家たちは直近の最新情報を選んだであろうし、その他の批評家たちは事実を系列立てたかもしれない。2012年という年には、パラリンピックの舞台においてクリス・マーティンが小さなスツールの上でヨガの蟹のポーズを披露し、エミリー・サンデーは至るところに顔を出していた。つまり、ポップ界隈でピアノが頂点に立っているということ。あるいは彼らが皆オデルの作品を気に入ったということかもしれない。ともかく結果として、彼は素敵なブリッツ像を勝ち取り、おまけにデートの機会まで手に入れた。

後日Grazia誌やPerezHilton.comで報じられた情報によると、セレモニーにてオデルはカントリー歌手のテイラー・スウィフトに話しかけ、その後、大勢のパパラッチと共にパブに移動し、二人きりで過ごした。その件について尋ねると、オデルは罠にかかった動物のように取り乱す。顔を赤らめ、そのうちスピーカーから流れる音楽に合わせて指を打ち鳴らし始める。「えっと。すごいことになっちゃってるよね。彼女は単に、素敵な23歳の女の子で、それ以上は特に言うことはないよ。言動に気を付けないといけない。あのちょっとした脱走劇は… 何だろうね。すごく面白かったよ。」

一人ならず恋人に袖にされ、4人のバンド仲間に拒絶され、そんな彼があるアメリカのスターから熱烈な視線を送られたとしても、とても妬む気にはなれないだろう。スウィフトは2008年より通算で2万5千枚以上のセールスを誇り、ロマンスの数々でタブロイド誌を賑わせている。彼女は"残念な"元カレとの思い出を改変し、ヒットソングのネタにする技術で有名だが、オデルにも似たような才能がある。あと数回パブでのデートを重ねれば、両者共に数年分の曲を書けるであろう。そう指摘すると、オデルは笑って話題を変える。

「リリーに助言をもらった。エミリーにも助言をもらった。基本的には同じことを言われた。『この仕事を始めた理由を忘れるな。』単純な言葉だけど、その言葉に従うよ。別の側面に ―パーティーに― 気をとられたとしても、この仕事を始めた理由を忘れずにいることが大切なんだ。僕の場合は純粋な理由だった。僕は作曲が大好きで、昔からアルバムを作ることが夢だった。」

その後、演奏を見るため会場に戻った筆者は、彼がスフィフトと肩を並べるパフォーマーにはまだ程遠いことを実感した。ゲストリストの担当者が筆者の名前を聞き違え、筆者をトム・オデルとして会場入りさせたのだ。中へ入ると会場は満員で、スポットライトに照らされたピアノの前に350人の観客が固まっている。彼は数曲演奏した後で義務的な会話のため小休止を挟み、そこで彼はスツールを回して観客を吟味する。彼はこれまで数回ブライトンで演奏したことがあると打ち明けた。一度に10人ずつの観客を前に。「みんなが一度に集まってくれて嬉しいよ。」その後音楽が薄く流れ出し、オデルはサウンドチェックで行った見事な演奏を再び披露する。拳でパイン材を叩き、垂直に跳び跳ねる。一度、二度。そうして鍵盤の隅々に指を走らせるのだ。

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