20141108

【和訳】The Beatles - The Long and Winding Road

ビートルズの曲が英語の教材にも使われるのは、多くの人が聞き慣れていることに加えて、歌詞に使われている単語や文法が簡単だからなんだそうです。実際わたしが中学生だった頃にもビートルズの曲を題材にした授業を受けました。

例えばタイトルのThe Long and Winding Roadからは、aとtheの違いの重要性を感じます。aではなくtheと冠詞をつけることで、語り手は毎回、他ではないただひとつの道を通るのだということが伺えます。

和訳という方法で英語の勉強を始めてから何年か経ち、当初はもっぱら逐語訳でしたが、それでは表せない印象があることに気付き、ある時から意訳を多く取り入れるようになりました。そして意訳が必要だと思う場面で使われている英語は、とても単純なものが多いことにも気付きました。それはズバリそのものを示す日本語を選べないのは、もちろんわたしの語彙量に起因しているのですが、同時に単純な言葉にある広がりや深度が、聞き手に多くの示唆を与えるからなんだろうなと思います。
だからこそ簡単に見える曲の方が、いざ和訳しようとすると難しく、考えさせられることが多く感じます。

そんなわけで今回も意訳が多くなってしまいました。
以前、有名な曲には既に決定版といえる対訳があり、取り上げることに抵抗を感じると書いたことがあります。でも決定版があるからこそ、亜種として自由度の高い和訳を作ってみてもいいのかな、と思いました。

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*never disappear
「消え去ることはない」とするのは消極的に感じた。語り手の積極性を強調したくて「存在する」とした。

*have seen
ここでのseeは経験を表すと解釈して「通ったことがある」とした。

*door
「間口」や「軒先」も考えたが、やはり普遍性を重視して素直に「扉」とした。

*leave O doing
ここでのleaveは「Oを捨てる/Oの元を去る」ではなく「Oをdoingの状態にする」という意味。you left me standing hereのみ「見失う」としてyouが語り手と共にいないことを強調した。
standing hereは立ち往生している=動けない状態にあると解釈して適時意訳した。
waitingは「待つ」としたが、動じない・動かないという印象が強く、続くleadを「誘う」として、動作を欲していることを表した。

*know
knowの目的語は知識としての認識よりも体感や経験を伴った認識を指す。

*the way
術としても良かったが、タイトル訳に準じた。

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The long and winding road that *leads to your door
Will *never disappear
I've *seen that road before it always leads me here
Leads me to your *door
君の扉へと続く
長い 曲がりくねった道が
いつもどこかに存在している
前にも通ったことのある
あの道を行けば 必ず ここに
君の扉に辿り着く

The wild and windy night that the rain washed away
Has left a pool of tears crying for the day
Why *leave me standing here, let me *know the way
Many times I've been alone and many times I've cried
Anyway you'll never know the many ways I've tried
And still they lead me back to the long and winding road
You *left me standing here a long, long time ago
Don't *leave me waiting here, lead me to you door
風が激しく吹き付ける夜は
雨に洗い流され
陽射しに焦がれ 流す涙は
水溜まりになる
なぜ歩き出させてくれないんだ
この足で確かめさせてくれ
何度も孤独に陥り
何度も泣いた
僕が重ねた努力の数々を
君が知ることはない とはいえ
それでも そんな道道の先には
長く曲がりくねった道が続いている
君を見失い 足掛かりを見失ったのは
ずっと ずっと昔のこと
ここで待たせたりしないでくれ
君の扉へ誘ってくれ

But still they lead me back to the long and winding road
You left me standing here a long, long time ago
Don't keep me waiting here, lead me to you door
けれどそれでも
長く曲がりくねった道に 舞い戻る
君を見失い 足掛かりを見失ったのは
ずっと ずっと昔のこと
ここで待たせたりしないでくれ
君の扉へ誘ってくれ

2 件のコメント:

  1. 忙しい中ご対応いただきありがとうございます。
    和訳に対するzoeさんの考え方も聞くことができ大変参考(ちょっと表現が変ですね)になりました。

    wikipediaなどに記載されていますが、ポールはこの曲を作った時の心境を次のように語っています。「あの頃の僕は疲れ切っていた。 どうしてもたどり着かない ドア、 達し難いものを歌った悲しい曲だよね。終点に行き着くことのない道について歌ったんだ」
    タイトルとなっている「長く曲がりくねった道」はポールが所有していたスコットランドのファームハウス近くにある道を基にしているようです。

    ポールは原点回帰させ、この曲をなるべくシンプルに表現したかったようです。 残念なことに、本人の意図とは裏腹に再編集されてリリースをされてしまいました。 この件だけではないですが、こんなところからも当時の彼の心境が如何なものだったのか考察すること容易いです。
    そんな彼が非常にシンプルに作り上げた詩。

    何度も孤独に陥り
    何度も泣いた
    僕が重ねた努力の数々を
    君が知ることはない… とはいえ
    それでも そんな道道の先には
    長く曲がりくねった道が続いている…

    原文同様シンプルな表現、私が勝手に思い描いているzoeさんらしさがこの件に出ていてとても好きです。

    今後もzoeさんの解釈された和訳を楽しみにしています!

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    1. こんにちは。いつもお世話になっております。返信が遅れて申し訳ありません。

      曲の書かれた背景を知ると、曲に対する印象が深まるものですね。恥ずかしながら、曲の背景や作者について調べることは普段あまりしないので、とても参考になりました。ありがとうございます。

      作品の仕上がりはポールの意に反するようですが、シンプルな歌詞とドラマチックな構成という組み合わせが、語り手のもどかしさを一層引き立てていると感じていました。ポールが本来構想していたままに形になっていたら… それもまたきっと、名曲と呼ばれるものになっていたでしょうね。

      和訳の方は、前書きの通り意訳が多くなってしまったので、表現のシンプルさ・幅広さを損なったのではと心配でした。
      (この頃、Vickeさんは英語の歌詞や世界観を理解なさっている方ですから、多少のことには目を瞑ってもらえるだろう… という甘えが出て来ました(笑) 良くない傾向ですね!)

      話はそれますが、光文社から出ている「椿姫」の作品解説にある"心底センチメンタルな人間にはセンチメンタルな人物は書けない"という考察を思い出しました。自分の文章からどのような人となりが読み取れるのかは、残念ながら自分では解りかねる事柄ですが、"らしさ"を感じてもらえるような文章を書けているとしたら、執筆者としては気恥ずかしくも嬉しいことです。

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