20150923

【海外記事】Paolo Nutini interview: 'This is a new beginning for me'

Digital Spy.でのインタビューより。

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前作までの2枚はイギリス国内だけでも3300万枚の売り上げがありましたが、それは今作のリリースへのプレッシャーになりましたか?
「いいや。どちらかと言えば、おかげで気が楽になった。当然のごとく、僕は批評家たちのお気に入りってわけではないから、NMEのレビューを気にする必要もない。むしろそれが理由で批評を気にしすぎることも批評に流されることもなく済んでる。おかげでどこかの集まりに顔を出して馴染みになる必要はないし、カメラの前に立つこともないし。」

Teen Choice Awardsとは無縁、ということですね?
「その通り!そういうことは望んでない。ニコニコした顔でみんなの前に立ったり。目の前でお尻を丸出しにしてるマイリー・サイラスが死物の塊か何かを舐めてる側に立ったりね。」

あなたの音楽についての批評はどう受け止めていますか?
「人は誰でも時にはグサっとくる言葉を言うもので、そういういう事実をいつも頭の片隅に置いてるんだと思う。僕自身に対する非難を受けたこともある。誰かから何かしらの理由で。でも僕の音楽が気に入らないっていうなら仕方ない。でも誰かの自信を揺らがせたり落ち込ませたりして、その人のやっていることを止めさせることだけが目的だった場合は、『あれは良くない。あれはああじゃない』どころじゃない、悪意のある言葉が出てくる。人は誰でも、何かすごいことを成し遂げたいと思っている部分があると思うし、他人がそういう部分に口出しすべきじゃないと思う。」

Caustic Loveはどんなアルバムですか?
「僕にとってこのアルバムは新しい物事の始まり。僕にとっては、この5年で色んな曲を書いてきて、今回がその初めての発表の機会になる。収録曲は最初の12~15のアイデアで、残りも世に出す準備ができていて、今のところ分かるのはそこまで。とりあえず前に進もうって時もあるよね。この先いつどこで何があるか、どんな障害に直面するかは分からないけど。だから僕のプランとしては、これからの数年は可能な限りクリエイティブな作曲家として生きて、僕の中にある音楽と思考の全てを絞り出すということ。妥当で教養ある面もあれば、もしかしたら物凄くミソジニストな面も出てくるだろう。分からないけど、かなり無知な、人には好かれない面もあるだろう。でもそういうことは気にしない。何が起きるか確かめよう。とにかく、そういう全てをこの先数年かけて絞り出そうと思ってる。」

60年代の世界観を打ち出した今作ですが、作曲の段階で影響を受けた音楽はありますか?
「音楽に関してはそれほど新しくはないものをよく流してた。昔聞いてた90年代の音楽。ヒップホップ感が強い、昔かなりファンだったD'Angeloみたいな、でもそれほど好んで聞いてはいなかった音楽。Massive Attackで初期のトリップホップに立ち返ったりもしたし、TrickyのMaxinequayはこの先も僕のお気に入りの一枚であり続けるだろう。だから新作はプログラム・ビートが醸し出す雰囲気以上のものがある作品になった。」

音楽的に言えば、安全地帯を出たということですね?
「たぶんね。技術的な点については、これまでにないほど野心的に取り組んだ。ドラムマシンもギターペダルも使ったし、サンプリングもたくさん試した。これが懐古的なアルバムだとは思わない。僕自身の持つ視点で書くわけだから、僕の耳で聞く分には、難解すぎる曲はひとつもない。"車輪の再発明"をしてるわけじゃあるまいし。アルバムに込めた野心に見合うよう実力を伸ばす。他の何よりも、それこそが僕の仕事の一番大事な部分かもしれない。それには、そういう考えを人々の心に届けて、彼らの想像力を掻き立てることも含まれる。僕と一緒に演奏したがってくれるミュージシャンの自由度も上がっている。」

良い気分でしょう?自分と仕事をしたがってくれる人たちがいるなんて。
「そんな人たちが、僕も一緒にやってみたいと思う人たちだった時には、特にね。」

Caustic Loveからはより成長したパオロを感じることができます。ご自身ではそう思いますか?
「それが僕を表す言葉かどうかは分からないし… それがどんな段階を指しているのか、どんな見解なのかも分からない。昔よりは自分のことに責任を持ってる。様々なレベルで、自分の面倒は自分で見なくちゃいけないって視点に立ってる。悪癖をひとつも持ってない人間なんていない。それはコーヒーか、砂糖か。コカインか、マリファナかもしれない。そういう悪癖を何とか自分で制御することが自分の面倒を見るってことだ。自分でやらなきゃ他に誰がやってくれるの?って話。そういう意味では、僕は先んじている。成長したか?どうかな。他の面ではもっと成長してるはずだから。僕が成長したかどうかは、友達か両親か、僕と親しい人に聞いてみるといいよ。僕は自分の人となりが持つ全ての面を受け入れたいし、どれひとつとしてその価値を落としたくない。要はそういうことが自分の身に起こる度に自分自身への理解が深まって、自分への言い訳が減っていく。弱みを見せれば、誰かにそこを掴まれて攻撃されるかもしれない。そもそもそういう部分を後ろめたく感じていなければ、そのことについて嫌な思いをさせられることもない。失敗したら、少なくとも失敗したことに気付いて、それが何なのか確認して、失敗を受け入れて、そしてできれば改善する。」

今年のグラストンベリーでは出演枠がランクアップしましたが、つまりステージに上がる前の、お行儀よく過ごさなければならない日中の時間が増えたということですよね。
「それについては適切な精神状態を保たなければいけないね。楽しむべきだし、盛り上がるべきだし、楽しめることは良いことだと思う。誰だってそうしたいだろう。グラストンベリーではそれが普通だ。『よし、出来るだけ早く行って、めちゃくちゃはしゃごう』ってね。でもそこにはもうひとつのグラストンベリーがあることを忘れちゃいけない。呂律が回らなくなるのはごめんだ。酔い潰れて、みんなが楽しみに見に来てるステージにすら上がれないなんてありえない。そういうのをやりたがる人も、もちろん、中にはいるわけだけど。」

なぜあなたはいつもステージ上で酔っ払っていると思われてしまうのでしょう?
「酔ってステージに上がったことはないよ。人生で一度もない。ほとんどの人が僕のところにやって来て『おい、めちゃくちゃ酔ってたな。すげー良かったよ、ベロベロになっててさあ!』って言ってくる。妙な話だけど、おかしな動きのダンスのせいか、もしくは自分の世界に入り込むせいかもしれない。その場のノリや雰囲気によっては飲んじゃうかもしれない。でも出来上がった状態でステージに上がることはないだろうね。そういう自分を見せるためにお金をもらうなんて、ありえないから。」

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