20131216

【インタビュー記事】MGMT: Everything Is Not OK

Electronic Beatsのインタビュー記事の和訳です。3rdアルバムMGMTを軸にレコーディング時の環境やバンドの価値観などを語っています。
太文字はインタビュアー、BGはベン・ゴールドワッサー、AVWはアンドリュー・ヴァンウィンガーデンの発言です。

労働階級の影響力がアングロアメリカン的な確実性の概念のど真中に現れたのは17世紀後期、ポップミュージックがブルーカラーをそのルーツに持つという物語がある種の常識となり、"中流階級"や"郊外出身"という言葉が別称となって以来の事であった。そして遥かに多数のアメリカ人バンドが郊外出身でありながら、その内の多くが自らの生い立ちを退屈、機能不全、あるいは独裁的なものとして不滅にしてきた。MGMTのベン・ゴールドワッサーとアンドリュー・ヴァンウィンガーデンはそうではない。デュオがデビューLPを引っ提げて脚光の舞台に自らを押し込んだのは2008年の出来事であり、Oracular Spectacularは暗い瞬間の到来を待つ幼年期を成年期の影の接近と表す、遡及的なサウンドトラックである。5年の歳月と後に一度の商業的失敗を経た今、バンドの名を冠した3枚目のLPは冒頭で前作の最終地点に立ち戻る。悪くはない試みだ。しかしながら、MGMTは方向感覚の減少を目指したサイケデリック・ポップへの見事な侵略行為を越え、B面的な挙動を見せた。
その結果辿り着いた先には、急進的なデコンストラクションとT・マセロ的な編集が存在し、かつてウェズリアン大学にてAnthony Braxton, Ron Kuivila, そしてAlvin Lucierのイタズラ心溢れる教え子時代にバンドの冗談の素材であった実験的な精神が潜んでいる。情勢が変化した今、過去は未来と同じほどに暗いものである。ベン・ゴールドワッサーの言葉を借りるならば「何もかも上手くいってるはずがない」ということだ。

これまで見た中で一番奇妙なMGMTのインタビューはThe Brian Jonestown MassacreのAnton Newcombeとアンドリューの対話で、Newcombeのベルリンの居間で行われたそれです。ほとんどNewcombeが話し役だったんですが。

BG: へえ、いつのだろう?

2010年のベルリン公演の前夜です。長丁場で無様な、デタラメなチェスの試合運びを見てるみたいでした。Youtubeで見れますよ。


BG: 見たことないなあ!Spectrum とSpacemen 3のWill Carruthersと一緒に遊んでたんだけど、そんな事があったなんて全然知らなかった。

AVW: アントンってすげーカッコいい男なんだよ。アントンの彼女が8mm Barにいて、僕らが店の前を通り掛かったら彼女がこっちに近付いてきて、「上にアントンがいるんだけど会って行かない?」って声をかけてくれたもんだから、着いて行ったんだ。彼のアパートはすごく変わってて ―ビデオで見れば分かると思うけど。そこら中に紙巻タバコが置いてあって、ギターもそんな感じで散らばってて。Dig!を見てたし、ストックホルムのAccelerator Festivalで顔を合わせたこともあったから、変幻自在って感じで少しやんちゃっぽい彼の物腰は事前に分かってた。僕は前の彼女と一緒にディナーに出掛けてて、それであのバーに入ったんだ。そんな事もあったっけ。

私は次の晩のショーに行ったのですが、あなた方の生演奏を観たのはそれが初めてでした。世間の期待から何とか解放されたい、けれど思うようにいかない、というような印象を受けた事を思い出します。ステージ上で落胆している様子にも見えたのですが…

AVW: そのショーがあった日に前の彼女と別れたんだ。ドラマチックで酷い別れだった。彼女に帰りのチケットを買って、まさしくその足でステージに上がったもんだから、おかしな気分になってたのかもしれないね。だけどそれと同時にCongratulationsのツアーで消耗してたって事もあった。というのも、訳あって僕らは色んなインタビューで僕ら自身を弁護したり、僕らの音楽を正当化しなくちゃならなかったから。ライブになると人目が気になって、内向きになってた部分もあって。ベルリンはそのツアーの締め括りだった。だけど今年の公演は完全に違う雰囲気で続けてる。まだステージ上で不安を感じるし、心を開いて開放的になれたらとも思うけど、新しいアルバムの歌詞や音楽はすごく個人的な内容で、作曲に関しても ―ベンと僕が作る音楽の最大の魅力は、それが僕らの二つの人格が織り成す特別なコンビネーションの賜物だということ、とだけ言っておくよ。僕らは多作なバンドじゃない。大量生産するバンドじゃない。だから出来上がるものが何であれ、それはその時の僕らの人生を小さく凝縮したようなものなんだ。つまり僕らの音楽は個人的な意味合いが強くて、あまり共感してる風じゃなかったり楽しんでる感じのない人を見ると、何となくおかしいなって思ったりする。

年齢層がかなり低い公演でしたね。若者を観客に迎えることに関してはどう思いますか?

AVW: 手書きの手紙とかファンアートをもらうことがあるんだけど、みんながそれぞれに最大限に音楽にのめり込んで、それぞれに意味を見出だしてるってことがはっきり伝わってきて、胸がいっぱいになるよ。しかもそれが大変な思いをしてる10代の若者だったり高校生って場合は特にね。僕の場合も高校生の頃に色んなバンドに対して同じ事をしてた。 ―Talking Headsもそうだし、The Grateful Deadも… 実際に観に行くことはできなかったけど、94年に僕が育ったメンフィスでGDの公演があって、その1年後にジェリーが死んだんだ。僕は当時14歳だったけど、姉の影響でかなり熱を上げてた。高校時代はPhishにも夢中で、それで何が良かったって、彼らの楽曲やカバー曲を聴くことで他のバンドや音楽をたくさん知れたってことなんだ。信じるかどうか分からないけど、Velvet Undergroundを知ったのもPhishがきっかけだった。The PixiesやPavementに関しても同じ。Phishのカバー曲が様々なバンドを知るきっかけになった。だけど大学に入ってベンと出会って、お互いの音楽を交換するうちに、聴く音楽の幅が指数関数的に拡がっていった。

お二人ともウェズリアン大学という、コネチカットにある小規模なリベラルアート・カレッジに通ったわけですが、ここはエレクトリック音楽のコミュニティ育成に定評がある学校で、Anthony BraxtonやAlvin Lucier, Andre Vida, Le1f, Das RacistにAmanda Palmerといった著名人を輩出しています。あなた方の音楽的な発展に対してはどの程度の重要性があったんでしょうか?

BG: すごく重要だった。要は、僕らは"クールな"人間じゃないって事。僕は田舎育ちで、大学で知り合った友達とは違って、ポップカルチャーに対する本物の感性を持ってなかった。ニューヨーク育ちの人たちと知り合うと、みんなクールなアングラバンドやその周辺事情をよく知ってた。知らないことだらけだったけど、学内ラジオ放送をヴァーモントのバーリントンから聴いてて、ミックステープを送ってくれた親戚もいた。だけど僕がクールな音楽から受けた影響というのはほとんどそれが全てだった。自分一人で音楽を開拓してたときに、インターネットが実際にモノを調べられる場に進展して、一気に全ての扉が開けた。当時はまだ今ある多くの音楽ブログも存在してなかった頃で、とにかくallmusic.comを開いてはリンクをクリックしてた。大抵のことをそうやって知っていったんだ。当時はどの界隈にも執着してなかった。
その一方で、ウェズリアンに入学してすぐに実験音楽に興味が集中するようになった。Ron Kuivilaが僕のアドバイザーで、彼はコンピューター音楽やプログラミングやシンセの知識が豊富だった。ウェズリアンではその関係の歴史が豊潤なんだ。John Cageも携わっていたし、David Tudorは自身のエレクトリック機材のコレクションを保有してた。僕もアンドリューもそういった手法で学んだことが鍵だと思ってる。プレスでは全く取り上げられない話題ではあるけど。多様な人々がどのように音楽を模索してきたのか理解しようとするだけで多くの糧を得たし、その内の多くの人たちの基準が聴くに耐えないものではあっても、やっぱりどれも興味深いものだった。それが今の僕らに染み付いてるんだ。

アメリカの中流階級、郊外出身ロッカーには長い歴史がありますが、サバービアについて歌うとなると、例えば不格好で、不確実で神経症的な暮らしをこき下ろす内容が大半です。ところが逆にあなた方はそれらを受け入れている。善かれ悪しかれ、自分たちがどんな人間であったか、どこから来たのかを隠す素振りも全くないんですよね。

AVW: 僕らは生い立ちにしても、そこから広がる不確実さという概念にしても、一部として否定して来なかった。ウェズリアンでの仲間たちはみんな、ミルクシェイクを飲んだり、モールに遊びに行ったり、コネチカットのロードサイドアトラクションを発掘したりに夢中だった。すごく"アメリカ的"で、都会的な生活とはいえない。そういう経験のおかげで大学生活が特別なものになった。 ウェズリアンでの音楽に関して言えば、Anthony Braxtonの"ラージ・アンサンブル"を2度受講した。きちんと楽譜も読めなかったけど、全く問題なかった。というのも、彼の譜面が面白くて、拍子記号が9/16とかそんな感じで、初見で演奏するのが物凄く難しかったんだ。だけど講義自体は素晴らしくて、ほとんどの授業時間が驚くような接点から脇道に逸れて全く関係ない話題に費やされてた。ポップカルチャーの話題で終わることもあれば、Alien vs PredatorだったりBritney Spearsについての話題で終わることも多かった。そうなると彼は自分自身に苛立ち始めるんだ。「何でこんな話をしてるんだ?」って。音楽を演奏するという場所じゃなかったけど、そういう彼を見てるだけでも面白かった。Daniela Gesundheitという素晴らしい声楽の才能の持ち主を迎えて、彼の実験オペラを演奏したこともあった。ZsのSam Hillmerもいて、 有能なギタリストのMary Halversonも一緒だった。

実験音楽がお二人それぞれに重要な影響を与えたということですね?

AVW: そう。ウェズリアンでの現場はかなり大規模で、きっとそれが僕らに影響したんだけど、こういった授業を受けたりする事で、その教育的な手法に時々物凄く胸が痛んだりもした。それこそが他の何よりも重大な概念だった。だからこそ初期の僕らのショーや生演奏への取り組みは ―ほとんどパロディに近いような、皮肉な形で実験的な要素に目標が置かれていたんだ。堅苦しくて気取った感じのコンサートに通って、その内容を可能な限りバカバカしく受け止めてた。だけどそれと同時に、クラヴィーア曲集に関する授業だったりAlvin Lucierの講座だったり、ベンと一緒にそういう経験を積む事は造形的な作業でもあった。

BG: 僕らにとって実験音楽っていうのは、"良いセンス"を窓の外に放り投げて、そのセンスがどんな構築を成すのか確認するってことなんだ。音楽は他の何にでも成り得る。今のところ個人的にはセンスっていう理念やそれに基づいた演奏に興味を引かれてて、ちょっかい出したり、良いセンスってものが何なのか解明しようとしてみたり。必死にならなきゃいけない。「センスなんて下らない、そんなものには左右されない」なんて言ってるだけじゃいけないんだ。John Cageも同じように影響されたんだと思ってる。

Congratulationsの"Siberian Breaks"にあるような、目まぐるしい転換を思い浮かべたというか、Carly Simon的に再構成された音感の塊のようで。アダルトコンテンポラリーの虚無に追いやられて来たものが、誰かのフィルターを通してその妥当性を回復するというのは興味深い事ですよね。誰かというのは例えばあなた方であったり、Ariel Pinkであったり、これまで6, 7年続いているニューエイジの影響の再現もそれに当てはまるかと。ある種の進展に関与する際に必ずしも音楽が重要である必要はないと感じます。

BG: 何がポップか、何がポップじゃないかって基準があるのが可笑しいよね。実際にジャーナリストと言い合いになりかけた事があるんだけど、彼はなぜMGMTが急にこれ以上ポップミュージックを作らないと決めたかってことを語らせようとしてきて。そうじゃない!僕らはポップミュージックを作ってるんだ!誰がポップミュージックを作ってるのか、誰がそうじゃないのか、なんて、誰が決めるんだって話で。可笑しいとも思うよ。かなり自惚れた連中がブログ記事を読んで誰も知らない事柄を発見しても、世間の人にまで知れ渡ってしまったら、それはもうクールな事柄ではなくなる。そういう理念の全体像が、僕にとっては奇妙に思える。ある意味でそういう事に対して超然と構えるのは大事だと思うけど、すぎるのも良くない。

自分がそれを好む、あるいは知る数少ない人間の一人だったのに、突然有名になってしまった音楽に対して、攻撃的な感情を持った事はない?

BG: 子どもの頃はそう感じてたけど、大人になった今は違う。ワクワクするだろうな。5年前には誰も知らないだろうなって、そんな音楽を聞いてる自分ってバカかもって思ってたバンドがあったとして。ブルックリンのバーに入ってステレオからそのバンドが流れて、みんながノってて。このすごい音楽をみんなが聞いてるんだって、嬉しいと思うよ。自分だけじゃないって感じられるだろうし。だけどニューヨークは厳しい場所っていうか、多くのバンドがひしめきあってる街なわけだから、皮肉な考え方が起こる理由も理解できる。誇張されすぎてて関わりたくないと思うものもたくさんある。最近話をするミュージシャンの多くが、商業的な側面に気を取られ過ぎて、自分自身をどう売り込むかって事ばかり考えてると思う。関係無いことに悩んだり彼らのやり方を世間がどう思うかなんて考えないで、ただ良い音楽を作ればいいんだ。Congratulationsでの経験とか、僕らを特別視してた人たちからの反発を食らって以来、特にそう思う。彼らは間違ってただけで、僕らはなるべく僕ら自身について語り過ぎたり、間違いを正そうとしない方が良いって事を学んだ。それがポップミュージックであり、ポップカルチャーなんだと思う。世間って色んな意味でバカげてるけど、それでもその一部に加わったり解体したりって作業は楽しい。

他人の音楽を自己流の解釈で自己流に編成、あるいは解体しながらカバーするDIYのカラオケバンドとして、始まりはどんな風でしたか?

たぶん他のバンドをカバーする事は抜きんでて重要で、それはセカンドの主題でもあった。Congratulationsの主な意義は大好きなアーティストやミュージシャンに対する企てだった。主力な影響力を持ってた人たち、60年代にある程度の評価を受けたグループにいたのに、そこから脱退して個人主義的な、風変わりなソロ作品作ったような、Skip SpenceやMayo Thompsonみたいな人たちの頭の中に入り込みたかった。僕はずっと一度限りの個人事業開拓ってものに興味を持ってきた。それが前作のアルバムで強調しようとしてた音楽の側面だった。だけど音楽を作るためにカバー的な事をやって深く考え過ぎないっていう発想はすごく良かったと思うよ。

Congratulationsの製作過程ではEnoのオブリーク・ストラテジーズを茶化した一連のジョークを飛ばしていましたよね。―彼の格言カードは創作活動の頓挫を乗り越えようとしているアーティストの助けとなるものなんですが、自作の擬似版にオブリーク・ストラテジーズと名付けて、1枚目のカードには恐らく"マスかいてろ!"と書かれていて― 彼にちなんだタイトルの曲もありました。

BG: 何はともあれ"Brian Eno"は友好的な曲だよ。僕らはBrian Enoが大好きだけど、彼に関するジョークを歌うのは楽しいんだ。たくさんの人が彼を無敵の存在だと見なしてるからね。彼はユーモアのセンスを備えた人だと思う。

実際、ピート(・ケンブラーこと Sonic Boom)はかなり気に入ってた。新しい"とんまカード"作りを楽しんでたよ。ノート一冊を格言でびっしり埋めて、その内の多くをEnoのオリジナル版から持ってきた。Enoは"とんまカード"の事を聞いて、面白いと思ってくれた。

もしかすると彼自身に訴えを起こすかもしれませんね。ともかく、Congratulationsによって、世間の目がMGMTに向いたわけです。そうでなければ全く相手にされなかったかもしれない。アルバムはKemberの60年代サイケデリア80年代版を切り開いているような、おおよそ三重に屈折した音だと感じました。

AVW: 実際はそれ以上に屈折してると思うよ。ブルースやフォークの類に注目した60年代のバンドに注目してるわけだから。ピートはThe Rolling StonesやElectric Prunes, Yardbirdsに入れ込んでて、彼らが全盛期にアメリカのブルースとフォークを合体させようとしてた事を分かってた。実はCongratulationsに取り掛かるまで会ったことがなかったんだけど、僕らはSpacemen 3とSpectrumのファンだったんだ。マリブのスタジオに入って最初の数日間、彼はディナーの席にiPodを持ち込んで、僕らは聞かせてもらった曲にただただ圧倒されてた。

彼はたくさん意見をくれた。―適当にギターを弾きながら、僕らの音楽を聞いて思い浮かべた曲を進めてくれた。「Spacemen 3みたいなカッコいい音にしてくれ」って具合にあっさり彼に主導権を譲った。スタジオは快適だった。僕らの仕事は僕らの手で音楽を作ること。クールなコラボレーションではあったけど、方法は彼が今まで誰かとそうしてきたやり方とは違ったと思う。―彼に方向性を決めてもらえるように、なるべく手をかけず、生に近い状態のものを預けた。イライラさせたこともあったと思うよ。彼には何かしら期待があって、僕らは期待に応えられるほどの音を出せてなかった。Oracular Spectacularでは人に主導権を譲るのも嫌々だったし、できる限り僕らのオリジナル盤の組成を残しておきたかった。実際、そういうやり方にはかなりの限界があった。自分の考えに深入りしすぎて、自己を保つ方法を見失ってた。新しいアルバムではDave Fridmannにかつてないほどの気前の良さでプロデューサー任務を譲った。彼はかな中立的な人だから、前回は彼から評価を求めたりもしなかった。でも今回は意見を聞いてみた。結果的には製作過程の各段階ごとに彼から励ましをもらう形になった。

MGMTにはFridmannの痕跡がかなり色濃く現れていますね。Flaming Lipsとの仕事でよく知られている彼ですが、MGMTはかなりThe Soft Bulletinに似通った音というか、印象的に弾むドラムやごちゃまぜのシンセといった部分に通じるものを感じます。実際、Flamig Lipsの最新アルバムThe Terrorともそう遠くない音だと思うんです。

AVW: 一緒に仕事をする以前からのFlamings LipsとDavid Fridmannのファンとして言えるのは、Tar Box Road Studiosに入っておいてSoft Bulletinっぽくないドラムビートを刻むのは至難の業だって事で…

BG: アンドリューと僕で機材を全部並べて、アナログのシンセとシークエンサーとドラムマシーンをひとつに連結した。録音ボタンを押して文字通り数時間に及ぶ音楽を仕上げて、その大部分が、目的意識を持たずに作った即興だった。膨大な量の要素を組み立てた後、それを次の段階に進めるって考えたら、すごく怖くなっちゃって。かなり出来の良い部分があることは分かってても、それをどう扱えばいいのか分からなかった。デイヴが歩み寄ってくれた事で、作曲家である以上に編集者である自分を受け入れる事ができた。僕にとっては大部分の音楽作品が退屈なものだからね。嫌な奴だと思われたくはないけど、音楽を聞いてこう思うことがよくあるんだよね。「その作曲の才能で誰の気を引こうとしてるんだ?そうだね、複雑な構成が盛り沢山だけど、それがどうした?」って。僕らはこういうものを作って、これが何なのかもどうしてこうなったのかも分からないけど、とりあえず一番良い部分だけ切り取ってくっ付けてみようかって考えたんだ。

Oracular SpectacularでFridmannと仕事をした際は、あなた方が大量に持ち込んだ自宅録音のローファイなトラックを、彼は自身のハイファイスタジオで見事に融合しました。例の独特な―複製され世界中に発信された―音楽は、アマチュアリズムと専門知識という、普通ありそうもない組み合わせから生まれたものだと言えるでしょうね。

BG: 面白い思い出としては、僕らは当時、時々愚痴を垂れてた。「こんなに豪華なスタジオにいるのに、作り直してくれないの?高級なマイクで録音し直してくれるんじゃないの?」って感じで。僕らにはちっとも理解できなかったけど、その時の彼にとっては滑らかなレコーディングを目指すよりも、僕らの雑音混じりのデモと初期のレコーディングにあった特異体質を利用して、それらを変形していく方が面白い作業だったんだ。彼はレコーディングに関して完全に独学で知識を得たTame ImpalaのKevin Parkerと似たような事をやってた。Daveも彼のユニークさを音作りの重要な要素として扱ってた。その一方で僕は、誰でもレコードを作れる現状にワクワクしてる。最近のプラグインはかなり進歩してる。みんながアナログの良さを語ってて、それが正しい場合も確かにあるんだろうけど、どうだろうね… 誰でも寝室で高音質な録音が出来るって事の方が遥かに魅力的だと思う。友達のCarolynは全編MacBookのマイクを使ってアルバムを録音してるんだよ。

Molly Nilssonも全てのアルバムをそうやって録音してますしね。

BG: 後になって振り返ればもっと認識されることだと思う。みんなラップトップ内蔵のマイクは音割れが酷いと思ってる。だけどこの頃じゃ4トラック収録して、過去に誰もやったことがなさそうな試みをそこに加えるのがすごく流行ってる。

ここで新作MGMTに話を戻しましょう。くっきりとした二面性を持つ作品だと思います。A面では慣例通りの曲に関心が向いている一方で、B面は暗さがあって、非建設的な、より実験的な編成で、曲や和音の構造が予想外な形で現れていますよね。

実は、アルバム後半に収録されてる曲の多くには調和的な構造が全く存在しないんだ。各層がお互いに何層も重なり合ってるだけで、従来の感覚からすると噛み合わない音調がたくさん含まれてる。だけど同じことは前にもやったよ。"Astromancy"は最終的に僕のお気に入りになったわけだけど、最後に仕上げたのはこの曲だった。この曲の語る状況は何一つ噛み合っていない場において、音と音の間にあらゆる形の空間が存在していて、そのせいで一点にすら集中できなくなってしまう。あらゆる音の要素が現れて注意をそらそうとしてくるんだ。それを知るとまた別の聞き方が出来るんじゃないかと思うよ。

アルバム後半では全てが一転する。例えば"I Love You Too, Death"みたいにある特定の曲については、僕らは二人ともSuicideの"Dream Baby Dream"だとかTowering Infernoの作品にあるような単純さに興味を持って、今まで作り上げたことのないような曲の形を完成させようとしてた。上昇線にすごく似てて、加速していく列車が、ふと切り上げになる感じ。ヴァースもコーラスもない。勢いで突き進んでく。

アルバム前半では、ポップなアレンジという要素がある一方で歌詞はかなり暗い、という両者の対比に興味をそそられました。VUの"Who Loves The Sun?"だとかThe Stone Rosesの"I Wanna Be Adored"といったような、特殊な感じのポップソングを思い浮かべました。 ―例えば"Your Life Is A Lie"がそんな風に聞こえるんですが。

AVW:「魂を売る必要はない、彼は既に僕のもの…」

BG: いくつかの点についてはCongratulationsよりも楽観的なアルバムだと言える。内容は権力譲渡についてだから。つまり、僕らは恐ろしい物事に真正面から立ち向かって行く強さを持ってるってことを歌っているわけで。次々に出てくるインディーバンドに… 何もかも上手く行ってる、ここは平和で安全な場所だなんて言いふらしてる連中にうんざりしてる。何もかも上手く行ってるはずがないし、みんなちゃんと気付いてる。だけど僕らならちゃんと対処できる。このアルバムは暗くて陰気だと思う。それが現実だから。このアルバムの内容は、良い意味で発狂することでより現実的になろうってこと。「何もかも最悪だ」なんて言わないよ。そういう虚言に反抗して行ければ、世の中はもっと良い方向に転換するし、自分も良い人間に近づける。

AVW: 不思議だね。過去3作に収録されたほぼ全ての曲が、歌詞より音楽を先に完成させたものなんだ。だから歌詞を書くとなっても、曲と歌詞の雰囲気の間にそれほど大きな不一致性は求めない。思うに、意識してるかどうかは別として、不一致性というのは当初からバンドの精神の一部として存在してた。大学の最高学年のときWe Care/We Don't CareっていうEPを作った。僕にとってはそれが、二つの対称的な事象が同時に起こる状況を好む僕らの性質の現れだった。だけどベンが言ったように、Congratulationsにはもっと暗さのある瞬間があったと思う。話題にされるのはMGMTの方なんだけどね。異なる12個の現象が同時に起こってる状況で、1時間半その場しのぎしてるような、お互いに目を見合わせながら、どこから音が聞こえてくるのか、誰が何をしてるのかも分からずにいる。そこでは何か、彼岸の出来事が起こってるんだ。多くの新曲の内容は恋愛関係とか、ぼんやりとした悟り、より深い答えを求める生来の積極性 ―それから、その道を歩き出すまで注意力を保てない事対する苛立ちについて。

BG: アンドリューは物事の神秘的な面に惹かれる質で、僕は合理的な科学とか数学的な部分に惹かれやすい。僕は神秘性やら迷信の類にそれほど寛容になれるわけじゃないけど、それに反してアンドリューはそういうものにのめり込むのが好きなんだよ。いまだに時々言い合いになったりするけど、それでも僕らはお互いに愛し合ってる。

それって不思議ですね、ベン。というのも私はあなたから信仰心の強い印象を受けたんですよ。Jewish Chronicleのウェブページで見つけた引用区によると「僕は不可避的で根源的なユダヤ人だ。ユダヤ人として精神が心に、頭に、そして血筋に宿ってる」そうですが。

BG: そんな事言ってないよ!完全に文脈を読み違えてるのか ―むしろ全くの創作だね。多くの人の目に触れるものだとは思えないけど、自分の論説を有利に進めるために何かをでっち上げようなんて考えるのは最悪だ。僕はどの宗教も信仰してないけど、全ての宗教に興味を持ってる。ただその内のひとつだけに身を投じようとは絶対に思わない。

つまり宗教に関しては懐疑的な立場を取る、ということですが、政治に関しても同様に慎重な構えなんでしょうか?新作のアルバムを「多面的に反政治的」と表現していますね。これはどういう意味でしょうか?

BG: 歌詞を書くのはアンドリューだけど、アメリカの現状のいくつかの項目に関して、物事が完全におかしな方向に向かってるってことは言える。政府が僕にとって最善の政策を取ってくれると信じる、とはとても言えない所まで来てる。だけど同時に、それは政治団体とは全く関係無い問題なんだ。ただ現状のままでは安心できないってだけで。この国の人々が、昔からそうしてきた通りに、各々の自由をあって当たり前のものと捉えられるのかと考えると、完全には自信がない。

と言うと?

BG: 人間が当然持つべき基本的な自由が組織的に冒涜されている場合があって、それって恐ろしい事だと思う。だけど明らかに政治的な音楽の大半に苛立ちを感じる。音楽は崇高な芸術であって、時事問題を歌うだけがその全てじゃない。僕にとって大切なのは音であったり、音を通じた超越的な経験であって、余りにも文学的な歌詞をつけることで言葉がその妨げになることもあると思う…

AVW: つまり、政治的な動きや最近の大事件と明らかな繋がりを持っているかどうか、という観念から判断すれば、僕らの音楽は"時事的ではない"。音楽は自分自身にどういうものかと問いかけたり、こういう風に表現したいって考えるときに、一層自分自身の感情を浮き彫りにしてくれる。(音楽が)その時々の自意識や感情と密接に繋がってるって事は、世界中で演奏して色んな人に会ってきた結果として、どんな状況でも共通してるんだと思う。ベンが言ったように、政治団体よりも遥かに大きなものでありながら、定義したり論じるのはすごく難しいもの。それでも、それが存在してるってことは分かってる。表面的には全てが順調に動いてるように見えるけど、潜在的には何もかも間違ってるって感覚を孕んでるような感じ。その理由を語るのは難しいし、例え言葉にしようとしてみても、なぜか上手くいかない。僕は(そういう感覚を)言葉で表現したり定義するのは得意じゃない。恐怖心というか。完全な自覚はなくても、僕は高校の頃からずっと、自分が打ち込んだ文字とか、書いた文章とか、開いたウェブサイトはどれも、自分以外の誰かにも見られてるんだって思いながら生きてきた。たぶん同じ気持ちでいる人は大勢いるけど、そういう状況に変わったのは世間の大半の人たちがその事について軽く考えるのを止めて、大惨事だと考え始めるようになった極最近の事だ。ベンも僕も最先端の情報はすぐに仕入れてるけど、それを暗号めい形式を使わずに音楽に取り込みたいとは思わない。直接表現するのが怖いだけかもしれないけど、もしも誰かが思いっきりボブ・ディランじみた事をやったとして、それが今のご時世に適しているかと言えば疑問なわけで。

おかしな話なんですが、新作に収録されたものの内 バンドとしてのあなた方を的確に言い表している歌詞がFaine Jadeのカバーの中にあって…

AVW: 言いたい事は分かるよ。「完璧を必死に追い求めて、それが現れたら見つからないよう身を隠して…」
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